足立智美 音響詩ソロ・パフォーマンス (国際芸術祭「あいち2022」)解説


 音響詩とは、詩と音楽の中間に位置するジャンルである。ひとつの源流は20世紀初頭の未来派、ダダの運動である。これらは美術の運動だと解されることが多いが、マリネッティもツァラもまずは詩人であったことを忘れてはならない。彼/彼女らは文法を破壊し、言葉を作り直し、タイポグラフィ、オノマトペを導入し新しい言語を創造した。
 そこには意味に主軸をおいた伝統的な書法に対する否定と、本質的な新しさへの欲求があるが、その背景には多言語体験の拡大があったことは間違いがない。未知の言語に出会った時に最初にもたらされるのは何よりもその音と形であって、意味ではないのだから。
 そして特筆したいのは同時期のペテルブルグを中心としたザウムの運動である。超意味言語と訳されるそれは、言葉の徹底した形式主義的な還元と新しい音の創造、それに独特の神秘主義が結びついたものだった(フレーブニコフはそれを鳥と神と星々の言葉だとしている)。この流れは最初のザウムによる創作をクルチョーヌィフに促したブルリュークによって日本にもたらされ、日本の未来派、ダダイズムの発展に影響を与えた。(私の展示部門でのインタレーションはこの流れをその背景にしている)。
 ダダイスト、クルト・シュヴィッタースはその大作 Ursonate で音楽に範をとった反復と構造化によって、音響詩のコンセプトをおおきく推し進めた。具体主義の流れは理論的な位置づけを明快にし、言葉の物質的側面のうち音に着目したものを音響詩、視覚を重視したものを視覚詩と考えることを可能にした。
 不思議なことに戦前の未来派、ダダイズムを除けば、日本では言葉の物質化という作業はほとんど行われることはなかったが、例外のひとつが新國誠一らによるASAであった。新國は海外の潮流とはほぼ無関係に音響詩、視覚詩の方法に1960年代初めには到達し、その後、国際的な交流に身を投じた。言葉の意味に依存しない音響詩、視覚詩の実践は、どこにも属さない言語の創造であり、それが故に全人類もしくは人類以外のための共通言語という側面を持っている。翻訳というプロセスを必要としないがゆえに、そのまま国際的なコミュニティーと直接つながることができる。もうひとつ付け加えるならば、その起源に多言語体験をもつ音響詩、視覚詩は西ヨーロッパ、アメリカ中心に捉えられがちな20世紀芸術史において、周縁とみなされがちな地域で発達することが多い。南米や東ヨーロッパでのこの領域での成果は著しいものがある。
 テクノロジーの発達にしたがった文学の概念の変化も見過ごしてはいけない。タイプライターで書かれた文章は手書きの文章と同じではないし、同じであってはいけない。アンリ・ショパンはタイプライター固有の視覚詩を制作するとともに、テープレコーダーとその編集技術を前提にテープに音響として詩を書く、という考えを確立した。現在においては人工知能やVRの活用はもっともこの領域での先端を示している。

 今日のパフォーマンスでは以下の詩を朗読する。一部はエレクトロニクスによって時には極端に拡張されるが、どんな場合でも、もとの音素の持つ性質は保持されている。

ヒデ・キノシタ(木下秀一郎)/ -X-から始まった有聲音詩型 (1924)
Hugo Ball / Gadji beri bimba (1916)
Aleksei Kruchenykh / Dyr bul shchyl (1912)
Olga Rozanova / 無題(1916?)
Kurt Schwitters / Ursonate 第三楽章 (1922-1932) (手話訳:足立智美)
新国誠一 / 「0音」より (1961-1963)
John Cage / 62 Mesostics Re Merce Cunningham より (1971)
足立智美 / あなた5 (2001)
松井茂 / 「音声詩作品集」より(2009)
足立智美 / 「 」(2013)
足立智美 / 人工知能(tomomibot)との即興
Ruth Wolf-Rehfeldt / 無題(Wellen)(1970年代)
足立智美 / -X-で終わった有聲音詩型 -ヒデ・キノシタの -X-から始まった有聲音詩型による (2012)

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