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藤田孝典さんの記事で気になった点を素人が考える

ずっと悩んでいました。
ずっとどうするべきか。

しかし、私自身も素人という免罪符を掲げながらこのnoteを公開させていただきます。
まあ、どうせ読まれないという安直な考えを持っているからこそ出来ていると思います。

怖くなったら消します。

最初に注意していただきたいのは、私は今回の問題については「批判・批難は避けられない」と思っていること、「岡村さんを擁護するものではない」という点だけよろしくお願いいたします。

ある程度読まれれば個人的には嬉しいので、ここで宣伝を、

こちらのnoteは今の所、私が過去に投稿した中で一番読まれているnoteです。ぜひ、ご興味のある方はご覧いただければ幸いです。

あと、小説も書いていますのでぜひ御覧ください。

さあ、本題です。

藤田孝典さんの記事、多くの方がご覧になったと思います。
岡村さんのファンの方や番組を長年聞いていたリスナーの皆さんの心情は痛いほどわかります。

私も非常に心を痛めております。

問題となった放送から約3日後の4/26 13:50に突如として現れたライジングスターの如く、この記事が登場しました。

この記事は時間が進むに連れて、ヤフーニュースのトピックに浮上。
そこから一気に藤田さんの意見に同調する方々によって批判の祭りが始まりました。

しかし、そこで読み進めると出てくる記事に対する違和感。

ヤフーニュースという不特定多数の方が見れる環境で出したこの記事にある「違和感」をここで素人が書かせていただきます。

再度申しますが、私は問題の発言を擁護するつもりもありません。
今回述べたいのは、この記事の「質」についてです。

1.ラジオを聴いていない状態で記事を作成しているのでは?

その同日に私もこの記事を読ませていただき、この点を指摘させていただきました。

一度も番組を聞いたことがないであろう、藤田さん、
まさかFLASHの記事で聞いた気になっていませんか?

私はこの点が非常に気になりました。

出典:岡村隆史、風俗を自粛「神様は乗り越えられない試練は作らない」 4月26日 FLASH

週刊誌のFLASHのリンクが出典先でした。
もしお聴きの上で作成しているのであれば、記事中の「目にしてしまった」という記述、FLASHの記事は引用に使用しませんよね。
これはどうなんでしょう?

上記のFLASHは同日6:31配信です。その後7時間後にこの記事が公開。

私は今でもこの記事が作成されるまでの間、一度もラジオを聴いていないのでは?と考えています。

記事内には番組内で発言したコメントが書かれています。
その文言を基に批判記事を書いた、というのが私の考えです。

ニッポン放送の謝罪について報じる記事をオリコンニュースが公開した際に、藤田さんはオーサーコメント(掲載された記事に対し、有識者や専門家という立場からコメントする人のことをオーサーと呼ぶ)でコメントを掲載しています。

何度ラジオを聴いてみても、岡村発言の主旨は「コロナ収束後、生活困窮した女性が3ヶ月くらい風俗で働くことになるから、それを楽しみにお金を貯めましょう」ということでした。
仕事や収入がなくなり、女性が生活困窮に陥って、止むを得ず、風俗にくることを待ち望むかのような表現には心底驚きました。
公共のラジオでそれが語られたこと、そのあまりの下劣さに衝撃を受けています。
生活困窮や貧困に苦しむ女性、将来に不安がある女性からの相談は、日夜増えている状況で、その深刻さも顧みず、差別発言がされたことを重く捉えています。
当たり前ですが、まずは女性が困らないように支援をしたり、手を差し伸べる努力が先ではないでしょうか。
ニッポン放送はこのような数行程度の簡易的な謝罪にとどまらず、何がどう具体的に問題だったのか検証すると同時に、岡村隆史氏本人にも責任を取らせるべきです。

このコメントではラジオを聴いていることをコメント上で明かしています。
これは他のユーザーからの指摘が多くあり、ラジオを聴いたという文言を残したに過ぎないのではないでしょうか?

もし、記事を作成された順序として、

FLASHまたは他のニュースで発言を知る

番組をradiko等で聴く

問題であると考え、記事を作成

であればいいのですが、

FLASHまたは他のニュースで発言を知る

発言を記事のみで確認

記事を作成

これでしたらまず記事を作成し、自身の考えを広めることに力を入れている事になりませんか?

私はこの記事の登場で一気に問題が混沌としていった気がします。
もし、多くの方に影響力を持たれる方が、番組を確認するなどを怠っていたとするならば、自分勝手な記事であり、批判する権利など1つも無いでしょう。

藤田さんがお聴きになった後に記事を作成されているのであれば謝罪いたします。申し訳ありません。

2.内容がなにか誘導しているようにしか感じない

ヤフーニュースやMSNといったネットニュースサイトでは、記事を掲載する上で見出し、記事のタイトルが上部に出ます。また、記事の一覧の中も見出しが表示されるわけですが、

岡村隆史「お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ」異常な発言で撤回すべきではないか

記事の見出しとして、非常にインパクトの有るものです。

異常な発言。
とんでもない発言をした。
ほぉどれどれと見る人が増えるわけです。

特にヤフーのトップに掲載していた時には、直接この記事にアクセスが可能でした。

番組の雰囲気、キャラクターを知っている人からしたら耐性がありますが、知らない人からしたら非常にセンセーショナルな見出しです。

FLASHの見出しは岡村さんは風俗を自粛しているという雰囲気の中、藤田さんの見出しは非常に嫌悪感を抱かせるもの。

また、記事内では所々で太字で表示しています。
発言の引用でも太字で表示するほど。

さらに「コロナが収束したら、もう絶対面白いことあるんです」と希望を持っていうという。
それは「収束したら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、お嬢(風俗嬢)やります」と、風俗店に美女が入店する可能性が高いと持論を披露。
岡村は「短期間でお金を稼がないと苦しいですから。3カ月の間、集中的にかわいい子がそういうところでパッと働いてパッとやめます」と予測。

この様にして太字にしています。
誘導に値するのではないでしょうか?
また中盤で藤田さんの考えの小見出しがありますが、

女性の貧困化を待ち望み性的搾取を待ちわびる下劣さ

太字を関連させると、岡村さんの発言は、女性の貧困化を楽しみにしているという考えに一直線なものです。

これはよろしくないでしょう。
見出しでキャッチしたユーザーの心をバッシングへと向かわせるものではありませんか?

本来ならば番組の雰囲気があっての発言を、ご自身の意図する雰囲気に向かわせている。

その後も太字で注意を引かせます。
太字で表示していた文章を下記に掲載します。

私は絶対にこういう発言は許してはいけないと思っている。
このような発言を面白おかしく取り上げてきたメディアも猛省すべきである。
児童福祉関連の制度やシステムを改善、拡充して手厚くする方向性ではなく、性産業に従事するような構造が作り上げられてしまっている。
これを「福祉の敗北」などと批判する者もいるが、日本における性産業、性の商品化の需要は凄まじく、異常なほど女性の性的搾取に執着する構造が福祉の拡大や拡充を阻止している実態がある。
つまり、金がない女性は身体を市場で売れ、という野蛮な社会が至るところにあり、岡村のような思想、価値観が福祉の拡充を阻んでいる。
専門学校生や大学生、大学院生たちからの生活相談も止まない。
日本の学費は先進国でトップレベルに高額で、なおかつ給付型奨学金(スカラシップ)がほぼ皆無である。
セックスワークへの誘導はするが、学業支援、生活支援、社会保障を整備しない社会だ。
誤解してほしくないのは、生活困窮者支援をするなかで、今回の緊急時だから女性が「性の商品化」をされているのではなく、日常的にそうなっている社会構造があるということだ。日常的に問題視されてこなかったものである。

インパクトの有る言葉を太字にし、一考させる暇もなく、ユーザーに対して「こういう人間は許すべきではない」と誘導しているようにしか見えません。

過去の記事でもに似たようなやり方を確認できます。
意図的に表示させているとしか思えないのですがどうでしょう。

もし意図的ではなく、これが一番見やすいやり方だ!と仰るのであれば謝罪いたします。申し訳ありません。

3.不特定多数が見れる環境に耐えうる質ではない

この記事に限らず、ご自身の考え・思想を前面に出したものを過去に寄稿されています。

もちろん、ネット上であれば制約は少ないでしょう。
テレビやラジオだと言いたいことも言えないなんてありますから。
ご自身の思いを表明することは大変いいことです。そこから変わることも多くありますから。

しかし、ヤフーというネットユーザーであれば多くの人が知っているプラットフォーム・環境で、一方通行で他の意見を取り入れない記事は出すべきではないと思います。個人ブログレベルです。
これは他に寄稿されている方にも見受けられます。

今回は怒りに満ちた記事です。
そして、怒りの方向を決めつけるものなんてありえません。

特に、終始「岡村隆史」と「氏」も付けない。
ああ、怒って勢いで書いたのかな、と思えます。
後にTwitterでは氏を付けていましたが遅い。

嘘でも本当でも、NPO法人の代表であり、大学の准教授の方が一方的な感情に毒され相手への嫌悪を顕にするのはどうでしょうか。

また、ご自身の問題を棚に上げるようなことも指摘されているのにその点を弁明することもしない。

本来なら多くの考えが混ざることで結論が見出されるのに、それをも超えてバッシングに走った。
記事の寄稿をやめろとは言いません。

ご自身が誰かのことをとやかく言える程の人なのか、一度ご自身で確認してみてください。

すいません、私が感情的になってしまいました。
不快になったのであれば謝罪いたします。
申し訳ありません。

最後に

こういうことは今まで目を隠すように、見ないふりをし続けてきました。
しかし、この記事に対する考えは夜を越えても消えることもなく、胸の中に溜まる一方でした。

こうして記事に対する考えを残せてよかったと思っています。

私は、正義の味方が嫌いです。

今は、正義の味方の皆さんは自分が正しいとして目の前は真っ暗な状態でしょう。ほぼ快楽に近い暗さ。

本来なら今回の発言も、「この発言はダメです!」「ごめんなさい」で済んだ話。
しかし、人格の否定や番組の降板を求める声に留まらず「死ね」と言った許される物ではない発言も見受けられます。

許される点は少ないにしても、行き過ぎたバッシングや行動は看過出来ません。
それは相手からやってくるものも、相手に投げたもの関係はありません。
冷静に物事を見ていきたいです。(しかし、私自身は出来ていないかもしれない。)

私も青春時代の多くを彩ってくれた人を守りたい。
だからこそ、この問題を見届けます。

怒りに満ちた世界は息苦しくて辛い。
楽しい場所はどれだけ時間が過ぎても錆びれることはない。
だからこそ守り抜きたい。

最後までご覧いただいた方には感謝いたします。

後で白湯を飲んでこようと思います。

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