ヴィンセント・イン・ブリクストン

Aぇ! group 正門良規の主演舞台 若き日のゴッホ in ロンドンを描いた舞台を見る。グローブ座。
オリジナルは Nicholas Wright (誰?)の脚本による 2002年 ロンドン上演。
NY上演時の Play Bill によると、家業の画商ビジネスでロンドンに赴任したヴィンセント、下宿屋の娘に恋をしたらしいというのが通説だったが、近年の、恋の相手が女将の方だったのでは?という説に基づく完全なる創作。
生前売れない画家だったゴッホは資料が少なく、特に画家になる前のことは弟テオの奥さんが保管していた兄弟の書簡くらいしか参考になるものがないらしい。
https://playbill.com/production/vincent-in-brixton-john-golden-theatre-vault-0000008381

ステージは大きな木のテーブルが据えられた、使い込まれた雰囲気の台所
全編ここで演じられる。
前半は  下宿屋の娘に一目惚れしたゴッホが 部屋を借りたいと申し入れるところから始まり、女将と恋に落ちるまでが描かれる。

大量な台詞と、バタバタと不格好ながらもきびきびと動き続ける正門ヴィンセント......... なぜ、彼が8年も喪服をまとい続ける中年女性を恋するようになるのか? そこの説得力はなかったな...
せいぜい性的欲求を持て余す若者にしか見えず、台詞に挟み込まれる 不幸とか孤独というワードはすっかり宙に浮いてしまっていた。
つまりは  "対人関係が苦手で不器用なヴィンセント"  には見えなかった。
陽キャなんよね、正門くん...

これは もしかすると 女将である未亡人の視点から見た方がわかりやすいかもな?と思いつつ 後半を見る。

後半は オランダから来たヴィンセントの妹の登場から始まる。
この妹がどこかオカシイのだ。ゴッホ家の血? 思い込みが激しくエキセントリック、コマネズミのように家事に精を出すのだがひどくガサツ。
どんなにジタバタしても愛嬌が残ってしまう正門くんとは 全然違う。
この人と一緒にいたくないイヤな感じを全身から発散させている。
彼女のおかげで、後半の流れが一気にできた気がする。

この妹に引きずられるように、挨拶もしないままに ヴィンセントは下宿屋を去ってしまう。そして2年..........
最終シーンの重苦しさは 1870年代の価値観を通して観なければならない。
ヴィンセントと恋仲になってしまった 女将の良心の呵責、普通の生活を選んだ娘夫婦。凡庸で退屈で、夢のカケラもない どんよりとした "日常"
そこに家業をクビになったヴィンセントがやってくる。
浮浪者同様の風体、薄気味悪いまでのキリスト教への傾倒、飢えてさえいる。何をしにきたの? 女将への愛をまた語ろうとでも??

女将の心情、何者でもないという絶望を、才能を見出す喜びに変えたいと若い子供たちを支えてきた彼女は、ヴィンセントに去られ、娘婿が生活のために断筆し、失意の闇に沈んでいる。
まるで 子供の学歴に かけていたのに 受験が思うようにいかなかった母親のようだ。おまけにヴィンセントと恋に落ちたことをひどく恥じている。
そんな救いのない展開の中、ヴィンセントがふとスケッチを始める。
誰もが知っているであろう、あの画の......
本当に素晴らしく美しい最終シーン、たぶんこの戯曲は、ほんの短いこの最終シーンによって全て支えられているのだろう。

とにかく
後半はよかった、が なぜ正門くんにヴィンセントを?という気持ちは残る。 もしリチャードだったら?.......  
プライドの高いテキサス人を演じきった末澤くんだったら?
そんな 複キャストを妄想するのもまた面白い。

https://www.vincent-in-brixton.jp/cast

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