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事実より大切なもの、香りが告げる真実~ワークショップにこだわる理由~

香水が主役になってはいけない、主役はあくまで、その日集ったお一人お一人・・・。

香りも香水も好きで、美しく、ドラマティックで生きる上での学びも多い。それらの物語をたくさんの人と分かち合いたい気持ちはもちろんあるけれど、ワークショップをやる上では、香りは目的ではなくツール。

参加してくれた人が、自身が描いた物語の中で活き活きと自由に在ること、

香料も香水もそのためのツールでしかない。いつも意識していること。

それは、かつて香りが私に自由を与え、そして不自由にもして、紆余曲折折(折を一つ追加笑)の中で見つけた「解」だからだと思う。理解と和解、そして現状の最適解が、ワークショップという場だった。

度々書いているように、語感の中でも嗜好性の高い嗅覚。

砂糖と言えば、甘さを、秋晴れの空と言えば澄んだ青を、赤ちゃんの肌といえば、瑞々しくて柔らかい感触を、概ね人は想像できるし、実際にそれらに触れれば、そのように感知するだろう。

香りは違う。同じバラを匂っても、個々の人が自分の中から引き出すイメージは、花畑であったり、海辺であったり、挑発的な女性、日本の古都、実にさまざまで、それがバラの香りという事実は変わらないけれど、引き出されたイメージ、各々の真実はどれも尊重されていい、かけがえのないもの。

ワークショップではそれが何の香りかという「事実」は伏せたまま、香りを使っていく。そうやって個々の「真実」を引き出す、見つけ出してもらう。

バラの香りを訓練で記憶したバラだと認識するのは香りのプロなのだけれど、ワークショップに参加される方々には、

その瞬間「自分自身のプロ」になってほしいと思っている。

何を感じたいか、何を思い出したいか、どんな気分になりたいか、自分の中の数多の抽斗から自由自在にその瞬間の自分に必要な思いのピースをひっぱり出してくるような時間。それらを紡いでつくる新しい自分らしさ。

そして、ワークショップという場において、「対話」やコミュニケーションがそれを促進できるような仕掛けを大切にしたい。参加者同士の交わり、さりげない会話や共感、好奇心の喚起・・・。

「その白い花は誰がそこに活けたのだろう。何故、その花器を選んだのだろう。その白い花を見ているとどんな気持ちになるのだろう」

「そこに行くと、どんなことが待っているのだろう。今いる場所とそこはどのくらい遠いのだろう」

可憐な一輪の白い花をイメージした人、かつて訪れてとても幸せで、再訪をしたいと思っている中世都市を想った人、その方々のヴィジョンに寄り添いながら問い、対話の中から深まる思い。


香り、その思いの呼吸。


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