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言葉、それは感覚を伝えるのに必要不可欠なくせに、感覚を表わすのに最も不適切なツール。

「ペンキ」の連想、それは「ペンキのニオイ」ではなく「ペンキ的な」質感のことだった。

香りを言葉にしていくことで、想像が広がり、視点も広がる。思いも膨らむ。そのような時間をワークショップの中で設計しているのですが、少し思い直すような出来事がありました。

先日、アーツ千代田のギャラリーで香りの即興ワークショップをやった時のことです。

ある参加者の方が、ある香りから感じたイメージを「ペンキ」と書いていました。

いつも通り、どんな色のペンキか、壁に塗られているのか、缶の中なのか、などとイメージを深めていってもらいました。

いろいろ話で分かったのですが、「ペンキ」というのは「ペンキ」のような匂いを感じたのではなく、その方にとってその匂いの性質が「ペンキ的」であったということなのです。つまり、滑らかで重たい塊、複雑さではなく単調さ、隙よりも密閉、そんな感覚を持たれたのでしょう。

これを言葉にしていくのは、難しい、、、ペンキというモノではなくペンキ的な性質のアウトプット。実は、その方自身も直感で「ペンキ」というワードを見つけたけれど、何故ペンキなのか、それがどういうことなのか、第三者に伝える表現を探せずに、そこで立ち止まっていたのです。

ペンキというモノにフォーカスをしてしまいましたが、ペンキの持つイメージ、その方にとってのペンキの質感、そこからアプローチしていけば、言語化できなかった直感に少し近づくアウトプットのお手伝いができたかもしれません。

ワークショップでは、このような気づきこそ財産なんだと思います。

香りに触れている時は、皆さん真剣、夢中、ひたすらご自身の世界と向き合っている状態なので、そのようなその方の静かな集中を邪魔することなく、抱いた思いをアウトプットするお手伝いをどうするか、鍛錬のしどころです。

そして、私たちの日常を思うと、ペンキの例のようなことは多々ありますね。

「好き」といえば「好き」だろうって、思うけれど「嫌いではない」程度だったり「どちらかと言えば好きかもしれない」だったり、「どっちでもいいけれど貴方の好きに合わせます」だったり、もちろん「大大大好き」も。

言葉に依存しすぎて、微妙なニュアンスや、独特の感覚を、私たち、取りこぼしがちなのかもしれないと思います。


少なくともワークショップでは、せっかく、右脳を刺激して自由自在に香りを感じてもらっているのだから、俄かに左脳フル稼働で、感じていることを即、言葉にするなんて、、、このプロセス、やり直しだなー><。

その前に、ぼんやり、ただ感じる、そういう時間の大切さ、忘れていた自分を見つけました。


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