遊びの終わり、キングダムが居場所でなくなった日。
2010年、40歳の若さで自ら命を絶ったファッションデザイナー、アレキサンダー・マックイーン。彼の生涯をスタッフや友人たちの証言を元に描いたドキュメンタリー「McQueen」を観ました。
失業保険を資金にして初のショーを開催、瞬く間にショウビズ界のトップスターにのし上がり、引退を決めたユーベルドジバンシーの後継に若干27歳で指名されたのは、衝撃的なデヴューから4年後のこと。
映像ではあるけれど、実際には初めてちゃんとみる、マックイーンのコレクション。才気がほとばしり、何をやっても良い方向にしか転ばないようなスタートから、その意欲的な挑発に人心がついていけなくなる「精神病院」をモチーフにしたコレクション。そして、最後から2番目のコレクションといえるのは、才能を早くから見出してくれたイザベラブロウを追悼したもの。映画の中では途中から反目しあい、イザベラに辛辣な嫌味を言い放つマックイーンも映し出されているけれど、喪失感は大きく、何もかも「彼女がそこにいるかのよう」に彩られたショーは、その説得力の分だけ痛々しかった。
映画を見て、若いころのマックイーンが本人も言う通り「ぽっちゃり体型」だったのが意外でした。切り裂くジャックのようなショッキングな事件や、ロボットとの協奏から最後は噴出されるペンキで落書きされていくウェディングドレスなど、常に挑発的でエキセントリックなショーをつくってきた人と、ふくよかな頬や、テディベアのような体形が、(ステレオ過ぎる発想だけれど)、ギャップがあったので。
後に彼は脂肪吸引をしたり、またHIVの発症もあってか痩せて頬もこけた感じになっていく。私の記憶はきっとこの頃のマックイーン。
僕のショーだ、僕が意外に誰が考えるの?
もしも自分がいなくなったら、という問いに対して彼はそう答えています。
ショーはマックイーンという個の脳内から飛び出してくるもの。彼のファンタジーは彼だけのもの、ということでしょうか。まさにアーティスト。
この場面で「遊びの終わり」そんな言葉がふと過りました。
子どもの頃のように、無邪気で意のままに時間を費やす、遊び。やがて時は流れ、だれもが、その遊び放題の楽園を出ていかなければならない時が来る。
単純な年齢ではなく、折々に人生の中で「遊びの終わり」が訪れる。
誰の意図も関係なく、自分の意思だけでショーをつくってきたマックイーンにとっては、最愛の母の死によって、自身が「子どもでなくなる」時がきたことを知なんとなく感じたのかもしれません。そしてそれを受け入れることがついにできなかった、そんな風に、若いころと死の間際のマックイーンのコレクションや、彼自身をみながら、私は受け止めました。
そんなマックイーンはどんな香水をだしていたのだろう。
調べてみると、アレクサンダーマックイーンの初のフレグランスは2003年に出ていて、その名も「キングダム」。
ウッディ系のスパイシーフローラルということです。
なんとなく、甘く官能的なフローラルオリエンタルを想像していたので、少し意外でした。
その後にもいくつか香水はリリースされているけれど、私のコレクションには残念ながら、ありません。
ウッディスパイシーフローラルとなると、フローラルの部分で清楚にも妖艶にもよるので、実際の香りを知らないから何とも言えないけれど、"ウッディスパイシー"を手がかりに想像すれば、キングダムとはやはり、マックイーンが冒険を繰り返しながら築き上げた世界であり、それは都市というよりは自然との調和もある田園、けれど穏やかではなく起伏にとみ、リアルではなくファンタジー、、、、、。
今更ながらに、その香りに思い馳せる夜です。
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