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支配とお金の混沌、だけど人はどこか一点、他者を見る目を失わずにいる。

手袋に小さなバッグ、帽子、女性のそういうファッションが何となく好きで、ポワロシリーズも観ていました。ガーデンプレイスシネマにて「ねじれた家」鑑賞。

https://nejire-movie.jp/ (映画「ねじれた家」・原作 アガサクリスティ)

ポワロシリーズのインテリアは大半がアールデコでしたが、本作ではヴィクトリア朝から部分的にデコそして、テレビやレコードプレイヤーなどミッドセンチュリーまで混ざっていて、それも観ていて面白かったです。

そのようないわゆるジャケ買い的なノリで観た映画ですが、なんと始まってほどなくして「これ、観たことある」と思い出しました。

おそらくは機内サービスのプログラムで。けれど場面によって覚えが合ったりなかったりするので、きっとうとうとしながら見ていたのでしょう。途中からそういえば、と犯人も思い出しましたけれど(笑)

みんながお金目当てで、そして互いを全然好きじゃないという親族同士。珍しくない設定ですが、時々、作中人物同士で、「一点だけ」相手を認めているところも、あるのかな、というのが垣間見えたりして、そこに心情の複雑さとデリケートさ、そして正直さが出て面白いところ、と私は思います。

この作品の中では、莫大な遺産相続人となったヒロインに叔父が「(故人は)正しい人を選んだよ」という一言。

仲良くもない兄の長女で、特にかわいがったこともなければ、その姪に媚を売るつもりもさらさらない。けれど、ふと冷静に客観的に「彼女の聡明さ」が唯一、相続人に値すると彼は判断し、落胆や憤りを通りこして、そのことをそのまま、彼女に伝えた。それで彼女を励ますなんていう気持ちさえもなく。それゆえ、少し、この言葉が観ている私の救いになり、この叔父が正直な人のように感じられた場面でした。

「ねじれた家」ということで、お金もそうですが、支配~コントロールというのは人の情緒を捻じ曲げてしまうもの、とつくづく思います。モラハラやパワハラ、DVなども支配と被支配、宗教や格差による紛争も究極は、そう。

それでもなお、支配欲という原罪に思い至り、その蜘蛛の糸に絡め取られないように、真実を感じ取るセンスを磨いていかないと、なんていうことにまで思い至ってしまいました。そう、利害不一致でも、どちらかというと好きじゃない相手でも、その聡明さを言い得た作中の男性のように。

それでは、香りで口直し笑。これは、ねじれているというか、螺旋をデザインしたもの。もともと建築デザイナーを目指していたクロードモンタナらしい、ボトルデザインです。箱を開けた途端に、洗練されたフェミニンな香りがスクッと立ち上がってきます。

Montana/montana parfum


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