シャワー中の思考


言葉は自由だ、本当の意味で。
死んでしまえと思ったのなら言えばいいし、辛くて苦しい思いをしているのなら吐き出していいし、心情の吐露を止める権利など誰も持ち得ない。
言葉は只のツールでしかないのに、感情はそもそも言葉を持たないのに。
胃袋の裏っかわで煮こごりのようにわだかまり、埃のように積り、目に見えないくせに質量ばかりが重くなり。やがてそれら言い表せないものたちは、血管に染み出し、心臓に押し出され、全身を巡り、息の根を止める。
言葉は自由だが、言葉を使役しているはずの私たちは、言葉によってときどき不自由だ。
世界中の時計を壊して。もう歳を取りたくないと思う瞬間が確かにあることや、自分の腕の中に囲っていたはずのものを取り零してしまったことに気付くとき、言葉によってますます不自由になる。
心情は、感情は、そもそも声を持たず、言葉はそれに付随しない。
私が誰かを想うとき、そこに言葉を介した感情があることを、ときどきとても不自由に感じる。でも、言葉は自由だ。確かにそうだ。本当の意味で。

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