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意識の統合情報理論と音楽

ある研究によると、教会の合唱団が斉唱を始めると、歌っている全員の心臓の鼓動はすぐに緩やかになり、ほどなくして一つの同じリズムに同調したそうです。

This is just one little study, and these findings might not apply to other singers. But all religions and cultures have some ritual of song, and it's tempting to ask what this could mean about shared musical experience and communal spirituality.
 ("When Choirs Sing, Many Hearts Beat As One" - http://www.npr.org/sections/health-shots/2013/07/09/200390454/when-choirs-sing-many-hearts-beat-as-one) 

生の音楽や踊りが、身体的・霊的に人々をつなぐ力は、人類の長い歴史において強い力を発揮してきた。言語や論理や損得勘定のネットワークだけでは、人間の社会というものはうまく機能しない。音楽や踊りが、社会の大多数の人にとって参加するものから鑑賞し消費するものへと徐々に変容するにつれて、市場システムに取り込まれる存在になり、社会におけるその効能はすっかり衰弱してしまった。

意識に関する作業仮説である統合情報理論(IIT: Integrated Information Theory)では、「排他の公準」を設定している。これによると、分離した状態にある複数の意識が徐々に統合を強めていくと、ある相転移点において、統合された意識が忽然と現れ、それまで分離していた意識の存在は消滅してしまうことになる。なんとも魔法のような不思議な予測に聞こえるが、もしかすると音楽や踊りによるトランス状態というのは、瞬間的にしろこの相転移点に近づきつつある状態なのではないだろうか。

ところで、私は個人的な探求テーマとして、意識の統合情報理論を社会の組織化の理念的規範モデルとして利用することができるのではないかということを最近考えている。統合情報理論によれば、社会の人々の間の情報処理の統合度合いが、脳内の統合度合いを超えた時に、集合的意識が発現することが想定できる。もちろん現在の情報科学技術ではそんなことは不可能だし、その実現が望ましいことなのかどうかは、多くの議論があるだろう。しかし、そうした情報処理の統合に向けて、可能なところから少しずつでも、コミュニケーションや討議、意志決定の仕組みを開発し整備していくことが、「より良い社会」(特に、「より良い政治」)をつくることに近づく道筋になるのではないか、という、粗く多分に直観的な着想だ。

しかし、統合の度合いを強め集合的意識に近いものをつくりだすには、統合情報量(φ)を増大させる仕組みだけでは足りないのかもしれない。音楽や踊りのような、身体性に働きかけ言語や論理や損得勘定を超えて人々をつなぐような仕組みもまた強化することが要請されるのだろう。

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