見出し画像

子どもは母親のモノではない

子どもを「夫に預けるのが不安」とか「姑に触らせたくない」という発言をよく耳にする。私はその発言を聞く度にモヤッとする。それは何故だろう。自分なりに少し考え、まとめてみようと思う。

「夫に預ける」って?2人の子どもなのに。さも自分のモノかのような発言に疑問を感じる。普段全部母親が子育てをしているならば、そりゃあ不安になるでしょう。不安だからと言っていつまでも何もさせなければ、夫が父親として成長する機会を奪うことになるかもしれない。

「姑に触らせたくない」って??それこそ本当に子どもを独占しようとする気持ちがストレートに表現されている。「私以外が触ると泣いちゃうから」というのは、母親の触られたら嫌だなとか他の人に懐いたら嫌だなという思いが伝わっているんじゃないかなぁと思う瞬間がある。それ以外にももちろん普段お母さんと2人で過ごしている子どもにとっては、他の人は怖いのかもしれない。

私が子どもを母、義母、お友達に見ていてもらう時、子どもは最初私がいなくなったことを覚えている間は泣くし、初めての人はダメだった。しかし、同じ時間や場所を共有し、顔見知りの関係になってくると、全然泣かなくなった。(但し、私が同じ場所におり、視界に入ってしまうと泣いてしまう。最も身近な他者である私がいると、やはり慣れた関係性に安住しようとする。私が異なる場所にいると、私のことを忘れ、楽しんで遊んでいる。)私がその人たちを信頼していること、他の人にも慣れてほしいという思いが通じたのかもしれない。子どもは母親のモノでも夫婦のモノでもない。子どもを所有して、狭い関係性の中で閉じ込めてしまうと、ゆくゆくは親も子も疲弊してしまう。必ず限界は来るし、他の人に頼らざるを得ない場面が出てくる。親はその時に安心して任せられる人がおらず、困ってしまうだろう。子どもは親以外は信頼できないとして他者との関係を結ぶのが難しくなるかもしれない。それは子どものネットワークを縮小し、可能性を狭めることになるのではないだろうか。

安心して子どもを見てもらうことのできる関係性を普段から築いていくこと、子どもを独占したいという欲求と折り合いをつけていくことが大切なんじゃないかなぁ。子どもは私のモノではなく、私とは異なる1人の人間。だから、私が子どもを独占することもできないし、社会で育んでいきたい。頼れる人が実母だけ、家族に依存的な社会システム...そういう社会状況は変えていかないといけないと思う。それには、社会システムを変えることも必要だけれど、親自身の考え方を変えていく必要がある。子どもを自立した1人の人間として見ることで少し自分から切り離し、親は子どもをモノ化することや子どもへの依存から解き放たれなければならない。

しかし、子どもをモノ化(所有)してしまうのは、どんな親にもあるんだろうなぁ。それが過保護という形になって表れるかもしれないし、虐待という形になって現れるかもしれない(ちなみに虐待と行き過ぎた過保護って表裏一体じゃないかなと思う。どちらも子どもの権利を侵害している。)。私もやっぱり自分がいないところでとっても楽しそうに過ごしていた我が子の様子を聞くと、少し複雑な心境になる時もある。親の気持ちって複雑💭💭

書いていると、次から次へと異なる問いが出てきて、キリがないですね😂疲れたから寝よっと🤣

この記事が参加している募集

育児日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?