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私を生きる私の肯定

なかなか時間がとれなくて取り組むことができなかった、#勝手にコルクラボ 友人の秋月さんの記事のおかげで発破がかかった。
周回遅れになりながらも、タイミングをみて答えていこうと思う。

Q.あなたが変えた自分の考え方、性格はなんですか?

小学校に入学する前、つまり幼稚園児だった時、小学校入学にあたり肝に銘じた心構えがある。
「親しき仲にも礼儀あり、だぞ」
一言で言うと、幼い頃の私はそういう子供だった。

一年生になってからは、七夕の短冊に「家内安全」と書いて先生に絶賛され、校内放送で願い事を発表する代表に選ばれた。
それを皮切りに、なぜか始業式や終業式の挨拶なんかも頼まれるようになった。
六年生の時には、書いた作文をラジオ放送で朗読した。社会科で勉強した『義務と権利』についての作文だった。

もともと文章を書くのは好きだったので苦ではなかったのだけれど、なんだかどんどん自分という存在がひとり歩きしていくのを感じた。

「真面目な徒川さん」
「優等生な徒川さん」

みんなが私のことをそう形容した。
でも自分では、ほんとうの私はそんなんじゃないと強く思っていた。
親には「ニナは学校での猫かぶりがすごいね(笑)」「本当はそんなにしっかりしてないのにね(笑)」って言われていたし。
本当は他の友達みたいに呼び捨てで呼ばれたかった。
「お前馬鹿だな」とか言われたかったし、ふとした瞬間に二年間同じクラスだったはずの同級生男子に敬語で話しかけられた時はめちゃくちゃショックだった。

そんな風になりながらも「真面目」で「優等生」な自分を維持していたのは、そういう付加価値のある自分でないと存在する意味がないと思っていたからだ。

中学校に入ってから、そんな私の自意識が表に現れ始めた。
いわゆる中二の頃。リストカットしている親友を止めなければならない立場の私は、どうして死んだらいけないのかわからなかった。
自分には生きている価値がないと思っていたから、生の素晴らしさを友人に説くことができなかったのだ。

苦肉の策として私は、彼女に言った。

「たしかにあなたの言うとおり、生きていることに意味なんかないかもしれない。私達に生きている価値なんてないかもしれない。ゼロかもしれない。
だけど死んだらさ、親は葬式をださなきゃいけないでしょ。飛び降りたら下にいるひとに迷惑がかかる。飛び込んだら列車が遅延する。つまりゼロだった私達の価値がマイナスになるんだよ。それだったらまだゼロの方がマシでしょ。だから死んだらダメ」

一時間も二時間も、泣きながら電話で話したのはそんな内容だ。
ちなみに彼女はその後なんとか生きながらえ、大学を出て結婚し、今では二児の母親である。

そして同じようにひいひい言いながらなんとかここまで生きのび、今こうしてnoteを書いている私にとっても、先に書いた考えはもう過去のものだ。

そう。
『自分に生きている価値なんてない』
これが私の捨てた考え方。

『誰かより優れていなければ、誰かに褒められていなければ生きている価値なんかない』
『誰かに嫌われて、誰かを不快にさせながら生きていくなら死んだ方がマシ』

こんな風に思ってしまう自分を捨てた。

そして現在の私の信念はこれだ。

『生きることへの絶対肯定』

安い言葉にきこえるかもしれない。
でも、もう死ぬしかないってわぁわぁ泣いている私にこの言葉を突きつけてくれたけろっぴさん(元彼氏・現旦那)の尊さっていったらないと思う。
だってあの時私はたしかに命を救われた。
その言葉があったから生きてこられた。

「死んでも生きろよ」
って、たいせつなひとが言ってくれたから。
それが私の存在価値になった。
誰かが私のせいで不快になっても、このひとと生きていこうと思った。
そこには「真面目」で「優等生」というラベリングや、特別な付加価値なんかなくたっていい。

私は、私でいいんだ。

ちょっとずつそう思えるようになった私は、やがて創作の世界で『生きることへの絶対肯定』を描こうともがき始める。

その挑戦はまだまだ道半ばだけれど、私はこれからも書き続けると思う。
私が私を生きている、その生をこれからも肯定していく為に。



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