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はじめて知った「お金の価値には違いがある」こと

昨年末に Polcaを使って初めてのクラウドファウンディングを行い、ユニフォームづくりの資金を募りました。


そしてそのプロジェクトを継続して1月からまた行い、それも明日で終わります。
同じプロジェクトを2回立て続けに行うという空気の読めない行為にも関わらず、今回も予想を上回る支援をして頂きました。一回目に引き続き、連続でまた支援をして下さった方も複数名いて。もう…ただただ、皆さんには感謝しかありません。

およそ2ヶ月以上に渡りクラウドファウンディングをしてきて、自分の中で「お金の価値」というものに対しての考え方が、少し変わってきたんです。
そんな話を、今回は少しだけ書こうと思います。

全く価値の違う500円

Polcaでは、誰かが支援してくれるたびに、スマホに通知が来るんですよ。
「◯◯さんから、◯◯円の支援がありました!」というふうに。

その通知を見るたびに「うわぁ、ありがたい…!」とめちゃくちゃ嬉しくなるんですが、その嬉しい気持ちって、その支援してくれた金額が例え30000円でも、10000円でも、2000円でも1000円でも500円でも、毎回同じような熱量で「嬉しい」って素直に思えたんです。

30000円の支援に対して「うわ、めっちゃ嬉しい!」と思ったその翌日、500円の支援があった時にも「うわ、めっちゃ嬉しい!」と同じように、これは嘘でもなんでもなく、本当に同じように思えた。

500円て、普段の生活ではほぼ躊躇なく使う金額じゃないですか。おしゃれなカフェに入ればコーヒーたった一杯でそれだけするし、ぶっちゃけ、毎日の第三京浜の往復でも、500円以上使ってます。でもだからといって「さっきせっかくPolcaで500円の支援があったのに、ここで500円使ったら意味ないじゃんか」とは決してならない。

日常の生活で何気なく財布から出て行く500円の価値と、Polcaで誰かが支援してくれた500円では、同じ500円という金額でも 全く価値の違う500円なんですよね。

以前までは、お金はお金、その価値は全て一緒やんって当たり前のように思っていたし、もっと言えばお金の価値に関してなんて、正直深く考えたこともなかった。

でも今回、こうしてクラウドファウンディングでたくさんの方から金額の大小を問わず「あったかい」支援を頂いて、お金には顔があるし、熱量があるし、自分のところに回ってきた理由にも違いがあって、何よりそこに「気持ち」がこもっているのなら、同じ500円でも、そこには大きな価値の違いがあるんだって、素直に思えるようになった。

確かに金額的にも助けられたプロジェクトだったけれど、自分が得られたものとして一番の収穫は、この「お金の価値には違いがある」ことに気づけたことなんじゃないかと、今は思ってます。

頂いたその「◯◯円」に、その方の気持ちが含まれてる。
ならばその◯◯円にはその時にしか得られない価値が付随されていて、もっと言えば、僕へ付託されたものでもある。当然、価値は大きくなってくる。ただの◯◯円では、なくなってくる。

肉野菜定食 肉ダブル

昨日、僕は一日の仕事に疲れ果てて、そして腹が減って仕方なくて、帰りに肉野菜炒め定食を食べたんですよ。しかも普段なら頼まない「肉ダブル」にして。それくらい腹が減ってたし、体が明らかに肉を欲していたので。

肉野菜炒め定食、肉ダブル。計 980円。

980円。
Polcaであの人が900円支援してくれたのにこれじゃプラマイゼロじゃんか、むしろ80円オーバー、あぁ、もったいない!

とはならない。

あの人が僕に支援してくれた900円はあの人にしかない価値がそこに含まれていて、そこには額面900円以上の価値を、僕は大きく感じることができた。

対して昨日僕が奮発して出した980円にも、980円出すだけの理由があったのだから、それはそれでプラマイゼロや損したことには決してならない。
むしろ980円にしては安いよな…という美味しさと幸せ感をも味わえたので、僕にとっては安い980円だった。

どっちが高い安い、どっちのほうが価値があるという話ではなく、その時にもらう、もしくは払う、それぞれのお金にはその時にしかないそれぞれの価値の違いがある。

よく考えたら当たり前のことなんだけど、今回、僕はようやくそのことに気づけた。
皆さんから支援して頂いたその額面の金額には、皆さんからの「優しさ、あったかさ」も乗っかっていて、その結果、頂いた金額以上の価値を見出すことができた。

頂いた金額に、プラスαの価値。そこでしか得られないものを、僕は受け取ることができた。クラウドファウンディング、やって良かったな。

皆さん、本当にありがとうございました。


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