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[雑記]「ジョーカー」感想文

トッド・フィリップス監督の「ジョーカー」感想です。ネタバレとかには気を遣っていないので、これから観に行く予定のある人は読まないでください。





主人公がキレて反社会的行動をクソほど続けて転がるように落ちていくやばい映画がある。フォーリング・ダウンとかゴッド・ブレス・アメリカとかだ。ネタバレかもしれないがファイト・クラブもそういうところがある。そういう映画はパッと観でどういう映画かわからないようなパッケージをしていることが多く、軽い気持ちで観たやつに社会への不満とか隣人への無理解とかがいっぱいブツけられて面食らったり痛快だったりする。そういう映画が好きというと変な感じに受け取られるが、観たことが忘れられなくなることは間違いないしおれも全部覚えている。

いつからか、おれはそういう映画を観るたび、心のどこかで「おれもこうなっていたかもしれない」と、思うようになった。
昔実家で両親と夕方のニュースを見るとき「怖いわねえ」ということがあったが、あれはどういう意味の言葉だったか。事故とか事件に巻き込まれるのを、それは運だし仕方のないことだとしよう。しかし事件を起こす側は……大小あれどそれは運という言葉で片付けるべきではないだろう。ならば自身がなる可能性が高いのは、被害者より加害者側だと、おれは思っていた。

先週金曜に封切りした「ジョーカー」は、土日の間にかなり話題になっていた。インターネットで読んだ感想で気になったのは、現代に対する生きにくさの具現だと言われるものだ。しかしそれが痛快な終わり方をしないだろうことは、バットマン・シリーズのヴィランの名を冠していることから予想がついていた。観たあとで辛くなることを期待するならば、生きにくさを感じているうちに観に行くのが良いだろうと、面接を終えたその足でスーツのままバルト9に駆け込んだ。平日の夕方割なら1300円だ。バルト9は料金を払う前に席の予約ができるが、上映時間30分前までに発券されなかった場合にキャンセルされる。上映30分前、普通に考えたら空くはずのない中央寄りの良い席に滑り込んだ。

観たのは週明けの19時、仕事や用事終わりに合わせやすく、話題作を安く観るにはピッタリなその時間は、つまるところ映画に対する期待値そのものは低い奴が多いと言える、結果としておれの隣の席の中国人の女が、上映中に携帯はいじるわ彼氏と普通に話すわで、映画館の環境としては最悪だった。ひっさびさにこんなクソ環境引いた。マナー談議をするつもりはないが、おれの映画を観るときのスタンスは「G戦場ヘヴンズドア」の長谷川鉄男のお父さんと全く同じだ。無職になってから夕方割を利用しなかったのはこういう環境が嫌だったからだと、上映が始まってから思い出した。

だが眼の前のスクリーンで描かれていたのは、主人公のアーサー・フレックを取り囲む"断絶"だった。ピエロの仕事のうまくいかなさや、毎週同じ質問をする福祉課の人もそうだが、決定的なものは、アーサーが他のコメディアンのステージを見て勉強するシーンの、アーサーと他の人との笑いのツボのズレと、マーレーのコメディ番組で、自身のステージの映像が無許可で流されたシーンだ。エンターテインメントに対する受け取り方という、社会的なコンテクストに決定的に存在する、断絶そのものだ。

映画の中でアーサーは脳の障害で緊張すると笑ってしまう症状を持つ。それが自身の病気であることを示すカードを相手に見せるが、周囲から疎まれる状況はまるで変わらないしそのせいでぶん殴られたりする。これには妙に心当たりがあり、他の作品でもそういうディスコミュニケーションを描いたシーンが思い当たるほか、おれ自身もメチャ叱られているときに自身に全く心当たりのないタイミングで「何笑ってるんだ!!」と怒鳴られたことがすぐに思い返せる範囲でも2回はある。そうなるともうわからなくなってきて、伝わらなさがテーマの映像を前にしては何をすることも全て無粋に感じられる。上映中に50回は隣の席の女に「Shut up fuckin' bitch」と吐き捨てようか迷ったが、この隣の席の女も携帯を定期的にいじってしまう病気なのかもしれんと思うと言うに言えなかった。それに隣の席だけじゃなくていろんなとこから話し声が聞こえてきていたのも、おれの気を滅入らせた。

結局、作中でアーサーは、何一つ自分の思うことを伝えられないまま、失敗を重ねていく。自分のネタ帳に書き留めたジョークを伝えられず、地下鉄の殺人に何の思想もなかったことも伝えられず、放送中に自分の言葉も全て伝えられず、自身の意思とは関係なく貧困者・下層民のシンボルとして祀り上げられる。「ダークナイト」で観た、愉快で残酷で機転の効いた最悪のピエロの面影は、今作のジョーカーにはまるでなかった。社会風刺とかを撮りたかった監督が、バットマン・シリーズのIPを使うチャンスがあった、と言ったほうが正しいように感じられた。それもそうだ、まだこの世界にはヒーローがいないのだから。一度観たことのある奴だけがこの文章を読んでいると仮定して訊くが、あのブルースのシーンをどう思った?このジョーカーから新しいバットマン・シリーズが始まるのであれば、それはメチャメチャに観たいが……。

そしてアーサーの葛藤と新しいジョーカーの生誕からなる、トッド・フィリップス監督の「問いかけ」は……エンドロールと同時に携帯を取り出し、画面のロックを解除する奴らと、館内が明るくなって第一声が「眠かった〜」の左の席にいた女、そしてアーサーが病院で母親の首を締めるシーンの最初から最後までLINEの画面を観ていた中国人の女には多分、ちゃんと伝わってないと思う。「日本でジョーカーが生まれることはないだろう、なぜなら本当の貧困層は映画に1800円も払えないから」という言説をTwitterで数度見かけたが、それが1300円になっても、実際に観に来た奴らに対する刺さり方を眺めていて、おれはなんか結構、やるせなさを感じていた。

「ジョーカー」でおれが観たかったのは、生きにくさを感じる人間の暴走だ。正直に言って、こんなふうな新たなダークヒーローの誕生を観たいわけではなかった。望むものは全て手に入らず、望まないものだけが与えられる……「噛み合わなさ」を笑うということが喜劇になるか悲劇になるか、それを決めるのは演者かそれとも観客か。劇場を後にするおれの口元を歪ませるのは、こんな日に映画を観に来た奴らと自分への嘲笑と、「人は全然、これっぽっちも分かり合えない」という、一点の真実のみだ。


「どこにでもいる人間が一番恐ろしい」ということが知りたいやつはフォーリング・ダウンを、「不満はあるが思想のない人がある日突然無敵の人になったらどうなるか」が知りたいやつはゴッド・ブレス・アメリカを、「不安と不満で社会が裏から綺麗に転覆されていく」のが観たいやつはファイト・クラブを観ろ。バットマン・シリーズは観なくていい……ホアキン・フェニックスがまたジョーカーを演じるその時までは。


・追記

自身の映画館体験を交えて書いたせいもあり、「おれにとってどういう映画だったか」がうまく伝えられてないなと思ったのでもう一回書きました。下手くそか。おれのいいたいことの本質をこっちではうまくまとめられた気がしているので、よかったらぜひ。

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