~拡張少女系トライナリー第一部(?)完結きねん~いちbotの思考記録


ドーモ、Twitterで主にニンジャヘッズやってるAD田中と申します。

このnoteというサービスもあくまでROMる為に登録したもので、これまで特に投稿予定もなかったのですが、ところがどっこいどうしても語りたいものが。今回はタイトルの通り私がこの一カ月ちょっとの間にのめり込みまくった

「拡張少女系トライナリー」

というスマホゲームのストーリーが一段落着いた記念に、Twitter上で色んな先人Botさん(プレイヤーはヒロインたちのLINEにいつの間にか登録されたBotを名乗り、彼女達と交流する)がやっている「これまでの話に一応の決着がつく最新エピソードに至るまで、どんな思考でプレイしてきたか」というのをつらつらと書いていこうと思います。

偶然この記事を踏んじゃった方向けの説明をさせて頂くと、この「拡張少女系トライナリー」では(……結構終盤の話なのでネタバレではあるのですが) アドベンチャーゲームとして無数にある選択肢でプレイヤーごとで細かに違う体験をさせつつ「プレイヤー全体で、どの選択肢が一番多かったか」という『総意』によって更新されるシナリオの大筋が変化するというギミックを持ちます。

そして無数にある選択肢の中には「たった一度しか選べない選択」があり、大筋としては総意の結果であるものの、プレイヤーの端末には一人一人の決断―――誰に味方したか、などの積み重ねが記録され、結末は全体で同じであっても、その光景、そこまでの道程は一人一人違った「体験」となるのです。

故にこそ、同じストーリーに対してプレイヤーそれぞれがどう感じたのか。どう思って、どんな選択をしたのか。その記録をソーシャルで共有し、楽しむというのが「拡張少女系トライナリー」のひとつの楽しみ方であるのです。


というワケで、以下はざっくり記憶と記録のままに書き散らしたネタバレ満載自分語りでございます。当然の如く現時点(17/12/02)最新までのネタバレ注意

あと、当然ではありますが全てAD田中個人の感想となります。発症肯定派も、否定派も、千羽鶴肯定派も、否定派も、そして大まかには括れない色々な信条を持たれる方も、それらのひとつでも否定する意図はございません。






おもな方針

千羽鶴の理想世界:肯定
トライナリーの発症:否定


~ざっくり中盤まで~


千羽鶴の「今は辛いけれど長い目で見れば彼女達の為の行動」という言葉を信じて中盤まで進めて来ましたが神楽の発症誘導・つばめの拘束辺りでかなり揺らいで、ファッキン企業連中と千羽鶴の目指すものの具体的違いが何かも分からぬまま「結局、悪意の有無は分からないけれど千羽鶴の目指しているものは世界の為にただ個人を消費するという点で企業どもと変わらないんじゃ……?」という疑念が強まっていく。(結局、最後に千羽鶴が話してくれるまでずっと疑問で、もっと早くビジョンを教えて欲しかった)

一方で彼女の言動の端々から感じる真剣みから「『敵』とするものの目的に明確な叛逆心がある=何が違うかは分からないけど、少なくとも本人としては違うところを目指してはいるはず」とも感じられ、ギリギリ信じながらもかなり混乱しながら進めることに。



~「シン・カグラ」においての選択~


ここに至るまで「どちらかを選択する瞬間はそう遠くない」と感じていたので、それまでに考えていたざっくりした思考は

「外」のトライナリーの想いと、「中」のトライナリーの想いは等しく等価値である。中は虚構ではなく、しかしロクな関わりが無くとも外の彼女たちの願いも確実に存在しており、ないがしろにしていいものではない。

◆この世界に対して大きな影響を及ぼしている千羽鶴の選択は発症肯定であるが、世界という地に足をつけている感覚の無い状態で生きる事、というのは死ではないが「生」の放棄であると考える。千羽鶴の理想世界に対しても言えるが、当事者であること、それにより発生する思考・思想の揺らぎこそが、その世界でままならずとも生きている証であると考えるがゆえに、発症に対しては明確に「反対」である。であった。あったんだけどなー

 →上記の考えは「外の彼女達は自身の意志で発症を覚悟している。」という事実でひっくり変える。結局当人じゃない俺の倫理観がどうであろうとも当人の決意があるならそこに義があるじゃん……とう悩むものの、その一方で「中」で生まれたと言ってもいいトライナリー達は、今を生き続けることを願っている。そこで彼女達が生きるってどういう事なの?と考えたとき、上記の思考にまた戻り、ひっくり返ったものがまたひっくり返り元通り……って訳でもなく「どちらも等価値である」という結論に。

その上で「発症と非発症、どちらを支持するか」と問われたとき、

①少なくとも千羽鶴は完全に発症派である事から、カウンターウェイトとして非発症の立場を取るべきであると考えた。(彼女の理想に危うさを感じる以上、彼女の理想を支持するにせよ全肯定ではいけないと感じた)

②単純に、気持ちの上での抵抗感があった。(こちらは完全に感情論なので、あまり重視せず)

という理由から非発症という結論に至った。これらはあくまで彼女の理想を支持するというのが前提のうえであり、千羽鶴に手を貸す中で「発症以外の手は全く存在しない」と実感した際には中の彼女達を発症させる覚悟を決めるべきであるとは考えていた(後述)が、今にして思えば完全に覚悟の先送りである。

◆この世界の危機に対して、シン・カグラ時点では彼女の技術力が測れていなかったこと、そもそも「敵」に言及した途端千羽鶴を押しのけて出現したことに疑念MAXだったことから、エリカさんがどうこう出来るとは正直全く信頼しておらず、故にこそ事態に対処するには千羽鶴の理想世界案に乗るしかない、と考えていた。前述の「人間は『当事者』である限り不完全である、故に俯瞰視点の総意に判断を委ねる」という考えへの反発等はあったものの、社会の構造だの在り方だのより前に「土台たるフェノメノンそのもの」が崩壊したら話にならない。「中のトライナリー」・「外のトライナリー」どちらの想いを取るかという選択も、そも土台が無くなってしまえば意味が無くなってしまう。という考えから「他の何よりも、まずは千羽鶴への協力によって土台を守る」という方針を決める。

◆これまでの愛着もあったけれど、彼女なりの筋の通し方や、理想に対しての真剣さを受けて改めて「トライナリーよりも千羽鶴を優先する」というのを自分のプレイ方針とする。一方で「世界(彼女達が抗えない規模の、個を潰して多数を生かす論理)よりもトライナリーを優先する」というのはまた別個にあったため「方針としては千羽鶴を助けながらも、その中でトライナリー達にとってのベターを可能な限り諦めない」という結論に。


これらの考えを胸にいざ決断の時へ、完全に2択だと思っていたら思いのほか選択肢が多くて「アレ?『理想を支持しながらも発症は否定』ってそのものズバリな選択肢がある……」と、押す。完全に千羽鶴の味方をするつもりでいる。アレッなんかおかしい、あれ、えっ。

……この時点で「差し迫った状況の中で、発症を否定するスタンスのまま彼女の側にはつけない。半端な覚悟では共に歩けないのは当然」である事を理解して、完全にバグる(当時のログでは『千羽鶴についていくことが出来ない』という結論を受け正気を失った結果「千羽鶴についていくこと "は" 出来ない」とか言ってるが、なんてことはないフラれただけである。むなしいね。)

その数時間後正気を取り戻して自分のハンパさと直後の見栄を壮絶に後悔し、あんまりな愚かさにいっそ辞めたい、いや投げ出すのだけは最悪だ、甘さでフラれたなら最後まで甘さを貫くのが筋であろう、ならばもういっそ甘さを極めどんなに無理そうでも総取りを狙ってこうじゃないか。という吹っ切れを、今後一段落するまでの主方針とし、現在に至る。



~これからの話~



フェノメノンを発症したつばめは問題を抱えながらもあの世界で生き続けることを選び、俺たちの戦いはこれからだ!……って

>ちっとも大団円じゃない!

……とにかくフェノメノンを守る選択肢を。と思っての決断の果てに、状況としては本当にフェノメノンを守れただけに終わってしまったというのは何とも苦い気持ちです。まぁ全部が全部丸く解決!とも思っちゃいなかったけれど。

とはいえ、彼女達の日常をなんやかんやで維持する事は出来ているのは確かな救いです。カレンに頼れる先輩扱いされて照れるちーちゃんかわいいしネ!!問題はこれからこの砂の城をどうやって守るか……エリカ案が上手く行くのか、噂に聞く「千羽鶴の考え」が動き出すのか……

きっとそのどちらかを選択する日が来るのでしょうが、その時には「以前の千羽鶴への返答」は勘定に入れず考えたいと思っています。改めて「中のトライナリー」を完全に切り捨てて千羽鶴につく選択をするかもしれない。それはやっぱり根っこのところは千羽鶴を助けたいと思っているからであり、あの時の甘さは決してトライナリーへの情がメインではなく「結論を先延ばしにした」からに過ぎないからであり……

本当に彼女達の事を思って、千羽鶴に背いてでも彼女達を助ける、という気持ちで辿り着いた今だったら良かったのですが。実際はフェノメノンを守るのに、他にどうしようも無ければ彼女達を切り捨てると考えていた、というのが現実という。


マルザンナの「あなたは私を選んでくれた」という言葉に、痛さと申し訳なさを感じながら、それでもこの「業」こそがトライナリーだからこそ出来た体験だと思って、今後も業を背負って楽しんでいきたいと思います。
そして適度に楽しむ為、業の重さに潰れぬよう、今日もみやびさんのおなかをふごふごするのである。