革命のファンファーレなんていらんわ

当たり前すぎて言うのもバカバカしいけど、本が好きだ。いい本を作りたくてこの商売を始めて、実際に「いい本だね」といわれるようなものもそれなりに作ってきた。

だけど必ずしも「いい本」が売れるわけではなく、またみるみるうちに市場が縮小していく中で「いい本」よりも短期的にバッと売れてすぐ絶版にできる「都合のいい本」のほうが重宝されていくというこの世界の残念な状況が年々顕著になってくる。だいたいみんなTwitterのフォロワーの多い順に著者を「探して?くる」ばかりで、じっくり時間と愛情をかけて良質な本が作れる環境(もしくはその意思)なんてこの国にはもう(ほとんど)ない。

それを何度も目の当たりにし、いつの間にか大いなる絶望とともに「あーそうですか、そんならいいっすわ」と既存のナンチャラたちを出し抜いたりハックすることを始め......ているうちにどんどん「いかにしてうまくハックするか」ばかり考えるようになってたっぽい。そうすると必然的にそもそもその「業界のクソみたいな状況」ってのが本当に何から何まで他人のせいに思え、そのうちなぜか世の中や身の回りのいろんな不都合も全て他人のせいのように感じられてくる。その辺はやや自分の精神構造の問題でもあるのだけど、おかげでここ数ヶ月は本当にメンタルの具合がよろしくなかった。人相も性格もよろしくなかった。

のだけど、あることをきっかけにゲロ吐いて寝込みながらふと「どこで間違えた?」と考えた。そもそも自分はなるべく軽やかに「いい本」が作りたかったのであって、いつまでも革命前夜のままのレジスタンスになりたかったわけではない。そりゃもう大いに手段を目的化している。かように大事なことを、やっぱり人は忘れてしまうのだ。とんだ間抜けだ。

というわけで「強くてニューゲーム」じゃないけど、魂だけ元の場所に帰る時だと思った。

幸いにして、レジスタンスなもんで抜け穴を見つける術はいくつも身につけた。その抜け穴を通って、あらゆるイレギュラーな手段を使いながら古式ゆかしく手間はじっくりかけて、著者も読者も、あと出版元(出版社、ではないかもしれん)も少なくとも不幸にはならない「いい本」を作ることに帰ろう。古い仕組みに安住しながら「いい本を」とか言うほどナイーブではないから邪道も使うし、それはひょっとすると本の形じゃないことも多々あろうが、すくなくとも自分が世に出すべきものたちだと思う。

自分にとって大事な物事が必ずしも自分の思い通りに運ぶとは限らないが、その不都合の何パーセント(0.1〜100)かは必ず自分の責任であることも自覚しながら、くるり岸田が「背筋をただし あせることなくあきらめずに立ちはだかれ 涙なんて流すな」(「のぞみ1号」)と歌ってくれたそのようにしよう。あんなに性格ねじ曲がっててもこんなに美しい曲を作る人がいるのだから、自分もせめていい本を作ろう。

個人的な記念というか備忘的に。


このnoteはなんか年イチで小沢健二「ラブリー」のexciteとかgoogle翻訳の投稿をするアカウントと化してるから一応規定演技的にやっとくと、新曲「フクロウの声が聞こえる」で試してみたら「『はじまり、はじまり』と扉が開く」の部分は「“Doors begin,” the door open」だった。

ドアが開いてみたらそれは単なる始まりで、その先に扉はまだまだ何枚もあるそうだ。ファンファーレなど鳴らない。こいつはしびれる。

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Takafumi Ando

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