ある後記のようなもの

先日発表されました、KDDIによるナタリーの運営会社・ナターシャの連結子会社化。直後のタイムラインは完全にこのニュース一色だった。

ぼくはナタリー大山さんと『ナタリーってこうなってたのか』という本を作っていた関係でその話をほんの少しだけ早く聞いたわけだけれど、その瞬間の顔はたぶん「おーい!はに丸」みたいになってたと思う。

で、当初のタイムラインの反応は驚き7割、好意的な反応2割(近しい立場にいる人はおおむねここだったような)、「つまんなくなるのかな」みたいな不安や疑問が1割といったところ。

ぼくは別にナタリーの人ではないので妙な断定や当事者の代弁などをする気はない。が、皆よりちょっとだけ色んなことを突っ込んで話した身としてひとつだけ言うとするならば「本質の部分は何も変わらないと思います」ということでして。

ナタリーをもっと大きくしたいというこっちの思惑と、カルチャーメディアを統合して自社プラットホームを充実させたいというKDDIの希望が合致して、今回の合意に至りました。これから新しいこといろいろできるんじゃないかな。

上記は、今回の件を報告した大山さんのFBへのポストより引用。この「大きくしたい」というのは字面だけ取ってみれば大金ほしいとか大企業みたいになりたいとかそういう風に見えなくもないが、これはそんなことではなくてだな……というのは『ナタリーってこうなってたのか』をお読み頂くとして、ぼくがここで書きたいのもそんなことではなくてだな。

この本の中で、ナタリーに対する読者からのフィードバックについて言及した箇所があり。

「早いね!」「遅いよ!」「ありがとう!」という、普通のニュースサイトではあり得ない読者とメディアの関係性。

ナタリーのありようを象徴する一文だと思うし、本書のスタートは「その秘密を解き明かしたい」というところからだったわけだけど、それはまあ置いといて、ぼくはここを読んだときに「ウヒョッ」と思った。

何が「ウヒョッ」なのかというと、リズムなんですね。

まあ正確を期すならば「ナタリー、記事遅いよ!」とか「ナタリーさんありがとう!」とか書くべき場所なわけだが、それを(前述されているということもあるけど)簡略化して「ホニャララ」「ホニャララ」「ホニャラララ」という「4/4/5」、いわゆる13音のリズムを作っている。

この「4/4/5」というのは、基本的にものすごくテンポよく発音できて日本人的に気持ちいい音数の組み合わせだと思う。
例えば「あなたが/私に/くれたもの」とか、
「まさかり/かついだ/金太郎」とか、
「ギザギザ/ハートの/子守唄」とか、
「スリジャヤ/ワルダナ/プラコッテ」とか。ナタリーの昔のキャッチコピーで「飛び出せ!愛され破壊神」というのがあったけど、あれも同じ構造だ。

(ちなみに「スリジャヤワルダナプラコッテ」というのはスリランカの首都で本来の意味からすると「スリ/ジャヤワルダナ/プラコッテ」と読まなければならないのだけど、これを正確な音節で区切っている日本人がほぼ皆無であることが「4/4/5は気持ちいい」ことの証左と言える。そもそも、この地名をそらで言える日本人もほぼ皆無だけど。)

加えて、厳密に字数を「4/4/5」に合わせずとも「スモモも(4)/モモも(3)/モモのうち(5)」みたいに、なんとなくそのリズムを逸脱しない範囲なら字数のアレンジがきくというのもなかなか優秀なところだ。

例えば記事のタイトルとか見出し、本文もしかりだが、こうしたリズム感——音節の並び方とか、どこに「、」を打つとか、そういった細かいフックを要所要所に忍ばせて文章にグルーヴを作っていくことができる人は、実はそこまで多くない。特に商業原稿では「読ませる構造」という意味でもけっこう重要だと思うのだけど、それを無意識にやっている人もいるし、逆に教えてもできないというか、そもそもその感覚が理解できない編集者やライターもいたりする。つまり、これは単純にテクニカルな問題というよりは「これが気持ちいいんだ」というセンス的な部分も大きいのだと思う。

で、先述の「早いね!」「遅いよ!」「ありがとう!」だ。単にこれが気持ちいいリズムであるというより、ナタリーというメディアに関する象徴的な記述において大山さんがこうした「気持ちよさ」を適用してきたことに、ぼくは「ウヒョッ」と思った。本人はそこまで計算したというより純粋にグルーヴの気持ちよさに基づいて書いていたのだと思うけれど、なんというか「大山卓也という人間がナタリーに浸透させてきたもの」のいくつかのピースがそこでカチッとハマったような気がしたのだ。

それを言語化するとしたら、哲学とか美意識といった要素が作る「ナタリーイズム」をさらに裏打ちする、「気持ちいいか、悪いか」のジャッジ——それは文章しかり、たぶんメディアとしてのあり方とか経営の方針といったことにも関わると思う——をする本能とでも言おうか。メソッドやポリシーのさらに根底を流れる、「気持ちよさ」をずいずいと求め続ける生得的なプログラムのようなもの。ナタリーが強いのは大山さんの美意識にもとづく哲学が内部にくまなく伝播していることに加え、「北の大地が育んだ(by唐木さん。cakesのインタビューおもしろいよ)」その本能さえも、たぶん無意識のうちに共有というか遺伝されているからなのだと思う。

独立メディアからKDDIグループという巨大な企業体の一員となったところで「本質の部分は何も変わらない」とぼくが思うのは、そういうことだ。その哲学だけでも十分に強靭だとは思うけれど、それがわき出す深層流のようにして「気持ちよさ」への無意識の欲望が根付いている限り、新たな体制においてもナタリーがブレたり揺らいだりすることはないだろう。ということを書きたかったわけです。


本来は取材対象に関してこんな考察をわざわざ書く趣味はないのだけれど、ナタリーに関しては考えれば考えるほどその深淵を垣間みたような気にもなる一方でますますわけがわからなくなっていく。ので、書いてみた。恐ろしいなあ。
ナタリーってこうなってたのか。(言ってみたかった)


[付記]
このしょうもない長文を書いている間に、『ナタリーってこうなってたのか』がAmazonのビジネス・経済ランキングみたいなところで1位を獲得しておりました。お買い上げくださった皆様、誠にありがとうございます。

Amazonランキングは1時間ごとの売れ行きによって変動するし、まあ相対評価としての順位ではありますが、松下幸之助の『道をひらく』(1968年発行なのにまだ3位あたりをウロウロしてる化け物みたいな本)を買いそうな中高年の皆様が起き出した後も1位をキープし続けて、現在のメディア状況が少しずつでもマシになっていくきっかけになることを願ってやみません。よろしくお願いします。

この記事のタイトルは最初「本能寺の中、あったかいナリ……」にしていましたが、社会的に死ぬ可能性があるのでやめにしたことも付け加えておきます。

[付記の追記]
これをアップした後に唐木さんからこのリンクが送られてきまして。
↓大山さんの地元・北海道の銘菓「山親爺」のCMなんですが、
https://www.youtube.com/watch?v=o6AvdUxSqBw

永遠に続いていく4/4/5。
広漠とした北の大地が育んだ感すごいしエモい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?