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人生の踊り場で

 タイトルホルダーが引退して1ヶ月が経ったね。

 コロナ禍を機に10何年かぶりに再び競馬を観るようになって、そこから始まったひとつの物語に美しくも幕が下りた。その場に、君と立ち会えたことの貴さを、母さんは静かに噛みしめ続けている。

 母さんが最初に競馬に触れるようになったのは、大学を卒業して研究所に就職したての1996年だった。同期の仲間たちの中に競馬好きが何人かいて、彼らを中心にGⅠレースの予想大会を開いたり競馬場に出掛けて観戦したりするようになった。
 個性豊かな同期の仲間たちは、データや血統やパドックや騎手など思い思いの角度から競馬を面白おかしく語り、予想し、馬券を買っていた。馬券が的中しても外れても、喜怒哀楽に彩られた彼らの様はやっぱり可笑しくて、彼らと共に過ごす時間が大好きだった。
 1998年、母さんはセイウンスカイという惜し馬に出会い、職場の仲間たちだけでなく、ネット上のファンサイトや競馬の情報サイトを通じて生まれたいくつかのコミュニティにも加わって、競馬の世界にどんどんのめり込んでいった。

 学部卒で”うっかり”研究職に就いてしまった母さんは、早々と仕事に限界を感じ、先の見えない不安に苛まれていた。当時は就職の超氷河期と言われたご時世、公務員として研究職に就けるというのはとんでもない幸運だった。採用が決まった時は飛び上がるほど嬉しかったけど、いざ仕事が始まるとその喜びからはすぐに醒め、周囲の期待がプレッシャーとなって重くのしかかってくるように感じた。
 そんな中、週末の競馬は母さんの心が息を吹き返し、つかの間の自由に心を遊ばせる大切な時間となっていた。

 寺山修司氏の言葉を借りるなら、財布の底をはたいて「自分」を買っていた。
 好きな馬の単勝を買って、一蓮托生の夢を見るのもいい。予想という名の妄想を信じて、一獲千金狙いの3連単を買うのもいい(当時はまだ3連単どころかワイドもなかったけど)。連敗続きで疲れたら、買わないでいるのもいい。
 的中すれば世の摂理を見通せたかのような万能感に震え、外れたら全能であるべき神の不手際を嘆く。誰に強制されるでも、咎められるでもなく、オッズを通して獲った獲られたの遊びに心を躍らせる。
 母さんはその営みの悲喜こもごもを文章にして昇華させる術を覚え、君も知っている通り、研究職を3年で辞めてフリーのライターになった。
 競馬に興じたあの時間は、人生を階段になぞらえるなら「踊り場」であったと、母さんは振り返って思う。一段一段上る手応えはないけれど、心にまかせて自由に踊ることのできる場。その踊り場から、母さんは行きたい方(逃れたい方とした方がより正確かもしれない)を見つけ、そちらに向かうことができた。じゃあ、その後ライターとして階段をずんずんと上っていったかというと、そう単純な話でもなかったのだけど。

 君たちを産んで育てる中で、自然と母さんは競馬から遠ざかった。幼い子どもと過ごす家族のゴールデンタイムは、競馬のメインレースの時間帯とぴったり重なっていたからね。2001年に推し馬だったセイウンスカイが残念な形で引退となり、それもあって母さんには自然な成り行きだった。今から思うと、ゴールドシップやオルフェーブルといったステイゴールドの子どもたちの暴れっぷりや、エアグルーヴを越えるような牝馬たちの活躍ぶりを生で観たかった気もするけど、悔いるようなことはない。
 母さんが紡いできた物語からすれば、タイトルホルダーの菊花賞制覇をリアルタイムで祝うことができた、それだけで充分だと思ってる。

そのあたりについては、こっちも読んでくれたらうれしい。

 そう、母さんが競馬の世界に戻ってきたのは、再び「人生の踊り場」に差し掛かっていたからだと思う。
 コロナ禍でそれまで手掛けてきたプロジェクトが停滞し、君たちは学校という枠から外れて家に引きこもり、心を遊ばせる場を母さんは必要としていたのかもしれない。

 一昨年の春、大阪杯を観に君と阪神競馬場に出掛けたことは、とても心に残っている。君は19歳で、高専を中退して、バイトに精を出していた。スマホで「ウマ娘」を楽しんでいた君と、リアルの競馬も一緒に観るようになった。
 エフフォーリアとジャックドールを生で観たいねと、高速バスでの弾丸ツアーを敢行した。時折雨がぱらつくスタンドで、エフフォーリアでもジャックドールでもなく8番人気のポタジェが優勝という結末に、しばし唖然としたことも忘れ難いけど、帰りの高速バスが出発するまでの間、桜ノ宮公園に足を伸ばし夜桜を眺めながら散策したことが印象に深い。桜が満開に咲き誇る川べりの公園は、コロナ禍で宴会をする人も屋台もなくとても静かだった。すぐそばを過ぎる電車の音が時折ビルの間で反響し、川面を照らしながら屋形船がゆっくりと下っていく。ドキュメンタリー映画で、意味ありげに挿入される夜の街の風景に、君と二人で紛れ込んでしまったような、そんな不思議な気分になった。
 どこへ向かうか分からない、あてもなく時をたゆたう私たち。クローズアップで桜の写真を撮る君の姿を眺めながら、流れに身を任せて宙に浮いているようなこの時間を、君はどんな心象風景と共に自分の人生に織り込んでいくのだろうと母さんは思った。

 そこから一年が経って君は20歳になり、職に就き、自分が稼いだお金で馬券を買える身分になった。母さんとだけでなく、一人で、あるいは友だちを誘って競馬場に出掛けるようにもなった。
 雨がざんざんと降る中でタイトルホルダーが圧勝した日経賞。母さんは用事が入って一緒に行けなかったけど、一人ででもあれば観に行って良かったと君は言った。
 そして、タイトルホルダーの最後のレースとなった昨年の有馬記念。寒風吹きすさぶ中山競馬場のスタンドで、早朝から日没後までを君と共に過ごせたことが、母さんはとてもうれしかった。
 私たちはタイトルホルダーが勝たなければ払い戻しを受けられない、そんな馬券だけを買っていた。君は、どれだけタイトルホルダーの優勝を信じていたのだろう?
 正直に言うと、母さんはそれほど勝利を信じていたわけじゃない。だけど、引退式で和生ジョッキーが絞り出すように口にした「勝ちたかった!」という、その思いに全てを重ねたかった。母さんの目には映らなかったけど、4コーナーを回ってもタイトルホルダーへの応援が止まないスタンドで、ゴールまでの何10秒かの間、幸せな夢にひたることができた。「人生を買っている」と言う割には安過ぎる勝ち馬投票券で。
 タイトルホルダーは3着だった。そして、カッコよかった。「だけど」じゃない。3着だったことも含めて、タイトルホルダーはタイトルホルダーだった。

 母さんは有馬記念と引退式に立ち会って、改めて思った。
 起こることしか、起こらない。
 その馬に、その人に。
 ジョッキーもオーナーも調教師も厩務員も、あの場にいた関係者の言葉は、全てそれを体現していたように思う。
 「その名は、タイトルホルダー!」
 タイトルホルダーがタイトルホルダーであったことを称える、オーナーの素敵過ぎる挨拶だったね。むろん、成し遂げたことの大きさも称えられて然るべき馬ではあるけれど、彼が紡いだストーリーそのものに、これからも魅せられ続けたいと思う。

 これから君に起こることも、私に起こることも、人生を全うするピースとして味わい続けたい。渋かったり、苦かったりすることもあるだろうけど。
 人生の踊り場で競馬に出会えたことを、母さんは幸運だったと思う。さらに娘と競馬を語り合えるようになるなんて、神さまもプレゼントが過ぎると思わなくもないけど。
 タイトルホルダーの仔がデビューしたら、また競馬場に行こう。それが、人生の踊り場どころか急な上りの最中であったとしても、一緒に駆けつけることができたらいいな。そう願う母さんは、だいぶ欲張りなのかもしれないね。

2024年1月26日 獅子座満月の日の夕暮れに


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