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私を生きる、この体だから

 母さんが初めて眼鏡をかけるようになったのは、小学2年生の時だった。以来、大人になってコンタクトレンズを使う時期もあったけど、基本的に眼鏡は体の一部のように常に携え、眠る時もすぐそばに置いている。
 両親も弟たちも眼鏡をしているから、生活習慣と言うよりは、多分に遺伝によるものなんじゃないかと思う。ただ、三姉弟では私の近視が特に強かったから、子どもの頃に読書ばかりして外遊びをあまりしなかったことは、視力にあまり良くなかったかもしれない。

 いずれにしても、成人する頃には裸眼の視力が左右とも0.1を割り込み、分厚いレンズの眼鏡が手放せなくなった。年中、眼鏡が壊れたとか、コンタクトレンズを失くしたとか、目にまつわるトラブルが絶えなかったし、裸眼でクリアな視界を得られる人がうらやましかった。

 そんな強度近視の不便さはずっと感じ続けていたけれど、視力を矯正しさえすれば普通の生活が送れていたわけで、生きていく上での「障害」にはならなかった。
 近視とは違う異変を感じるようになったのは、2回目の出産の後から(つまり30代の前半)だった。母さんはライターとしてPCで文章を書くことが多い。仕上げた文章を読み返すと、同じ文字を2回打っていたり、削除したはずの文字が残っていたりする。それが、単なるタイプミスとは思えない頻度へと少しずつ増えていった。
 母さんはその頃、コンタクトレンズの処方を受けるため、定期的に眼科にかかっていた。そのたびに医者には見えづらさが増しているような気がすると訴えたのだけど、簡単な検査では特に異常が見つからず、「あなたは強度近視だしね」とあしらわれてしまった。産後に目を使うのは良くないと聞くから、そのせいで一時的に視力が落ちているのかもと自分でも流してしまった。
 そうこうしている内に何年もが過ぎ、3回目の出産からしばらく経った頃。車の運転中に赤信号を見逃してしまうことが、短い期間の内に続けて起こった。さすがにこれはおかしいと、医者に強く訴えた。すると、ようやく視野検査をしましょうということになり、後日検査を受けると、すぐに詳しい検査をするようにと大学病院を紹介された。
 ここでようやく視野が欠けていることが判明したわけで、医者は数年間、これを見逃していたことになる。視野が欠ける代表的な病気として知られる緑内障が、主に40代以降の男性に多い病気であり、母さんがそのどちらでもなく、且つ眼圧の値が正常範囲内であったことが、医者の診断が遅れた理由だったと思う。

 その後、大学病院には昨年までの約15年経過を診てもらうことになった。視神経をこれ以上傷めないよう、眼圧を下げる目薬を何種類も試した。眼圧は低めに維持され続けているものの、視野の欠損はじわじわと進み、未だ病名すら確定していない(虚血性視神経症の疑い、だそう)。

 この近視とは違う目の病気と付き合い始めて、20年になろうとしている。
 長い時間をかけて分かったのは、自分の体のことは、誰かに委ねるのではなく、自分が決めて動かなくちゃいけないんだってことだ。そのために医者とも対等にコミュニケーションをしないとダメだってことだった。
 医者は病気を治してくれるものだと思っていたし、病気に伴う不自由さに対しても、何らかのアドバイスをしてくれるものと思っていた。だからといって、ただただ医者の言う事を聞き、事態の好転を神さまのお告げのように待っているだけでは、何も動かない。動かないことを、医者のせいにしても仕方ない。

・違和感をはっきり伝えて、視野検査にこぎつけた。
・見えづらさによる困りごとを相談したくて、県外にあるロービジョン外来を紹介してもらった。
・身障者手帳を交付してもらうため、書類を作ってもらった。
・薬を漢方薬に置き換えるために、病院を紹介してもらった。

 他にも色々あるけど、これらのことは、医者からの提案じゃない。母さんが自分で困って、切羽詰まって調べたり考えたりして、自分からお願いしたことだ。それも、もっと早くに動けばよかったと思う事ばかりで、「医者なら、検査の結果を見れば生活に困っていることくらい想像できるだろうに…」なんて恨み言を言っていた自分が、ただただ依存心の強い患者だったと今となっては情けなく思えてしまう。

 「自分が自分の体の主人公に」って、母さんが性教育の講座でよく口にしているフレーズなんだけど、患者という立場ではなかなか難しかった。ホントは対等にコミュニケーションをとっていいはずなのに(そして誠実な医者なら、それを望んでいるかもしれないのに)、数分しかない診察時間で言いたいことをなかなか言えず、医者の「経過観察」を煮え切らない思いと共に呑みこむばかりだった。
 セカンドオピニオンを受けたり、転院したり、漢方医を変えたり…自分で動けるようになったのは、ここ数年のことだ。
 自分の体を感じられるのは、世界にたった一人自分だけ。感じて、考えて、よりよくいられるように選ぶ。医者はそのためのパートナーであって、信頼すればこそ、自分の考えをきちんと伝える。ここに至るまで、ずいぶん時間がかかってしまったなと思う。

 生理痛が辛いと言っていた君が、最近ピルを処方してもらったと聞いて、母さんはうれしかった。婦人科のお医者さんと相談して、薬の種類も決めていくんだと話す君が、とても頼もしく思えた。離れて暮らすようになって5年、看護師になって2年の君は、同じ頃の母さんよりずっとずっと先を行っているなって。

 失われた視神経と視野を元に戻す方法は、今のところないらしい。眼圧を下げる目薬を毎日三種類さしても視野は徐々に欠けていき、それに伴って視力も落ちていく。数年前に運転免許は自主返納したし、紙の上の読み書きは難しくなる一方だ。
 とは言え、とても不幸かというと、実はそうでもなかったりする。バスに乗ったり、誰かの車に乗せてもらうのは楽しい。本はほとんど読めなくなったけど、Audibleで長編小説を楽々聴きとおすことができる。山道を歩くとき、父さんは時々手を握って歩いてくれる。
 「障害」はその人にあるのではなく、その人が生きる社会に帰属するのだと聞いたことがあるけれど、本当にそうだと体感している。目が見えないこと自体は不幸じゃない。そう思える今を、母さんは生きている。ありがたいことに。

 母さんは、最近またチョコレートを買ってしまった。視神経の維持に大切な毛細血管の詰まりを予防するために、漢方医からチョコレートや乳製品など乳脂肪を含む食べ物は避けるよう言われていて、君たちも知っている通り、1年以上前から食べ物には大分気を付けているのだけど。
 そのチョコレートはとても美味しそうな、そしてちょっと面白い期間限定のフレーバーだった。誰か友だちと一緒に、話のネタに食べられたらいいなって思ったんだ。
 医者が言ったから、あるいは言わなかったからといって、母さんはもうそれに振り回されない。今日を愉しむために何を食べるか、未来の視野のために何を食べないかは自分で決めていい。その営みがこの体と「私」を生かすことになるのだから。
 そんな訳でね。母さんにチョコレートをくれる時は、とびっきりのとっておきのにしてほしいんだ。それを、一緒に分けっこしながら食べられたら最高!なのです。

2024年2月24日 乙女座満月に寄せて


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