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歴史変動11 2023.1.22

 開化天皇、崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇と続いて居ます。
 天日槍は垂仁天皇の3年条と88年条に記載されて居ます。都怒我阿羅斯等は垂仁天皇2年条に記載されて居ます。
 此の二人は同一人物で、金官国の王子だと思われて居ます。
崇神天皇も半島(金官国?任那は300年代に成立)から来た(和風諡号に入彦と付いて居ます)天皇です。
 天日槍、都怒我阿羅斯等、崇神天皇は兄弟又は一族なのでしょうか。
欠史八代〜垂仁天皇の間に80~90年程の戦乱と桓帝霊帝の間(146~189年)の戦乱がが有ったと思われます。
 崇神天皇の子豊城入彦、千千都久和比売命の墓は群馬県に有ります。
戦乱で追い出されたのでしょうか。ヒダカミ国を打ち破ったのでしょうか。
 鎌倉には鶴岡八幡宮が有ります。福岡県の方が50年程創建が早いそうです。
此の名前は、都怒我阿羅斯等と良く似ています。
 源義家は八幡太郎義家とも呼ばれて居ます。
尚、都怒我阿羅斯等は香春岳第3岳付近の青銅所の現人神社に祀られて居ます。
 埼玉県のサキタマ古墳に埋葬されて居る人物は、副葬品から考えると相当高位の人物です。記名鉄拳から考えると、武烈天皇、牛慈の墓の可能性が有ります。
 牛慈は都督(府、楽浪郡や帯方郡、太宰府は都督府です)から野洲の評督に落とされて居ます。又土地を継体天皇に献上して居ます。倭王武ー雄略天皇或いは、継体天皇が半島戦で敗北して、半島人が押し寄せて来て、崇神天皇子孫が居る関東に逃げて来たのでは無いでしょうか。
 関東に、源氏や平氏が関東武士として居た理由が判る様な気がします。


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