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歴史認識6 2022.9.26

 歴史認識5に初歩的ミスが有りましたので、修正致します。

①350年以降の天皇は籠坂尊です。依って、羽白熊鷲は籠坂尊です。356年東鯷国(クナト大神、ユダヤ人も住む)出身の昔氏の訖解説尼師今から新羅の金氏に国が変わりました。梅桃沈輪が倭国に攻め寄せました。此為、東鯷国出身の神功皇后と武内宿禰の連合軍は358年新羅征伐をしました。此戦争以前に羽白熊鷲は敗北して居ます。
②第3代仲哀天皇は忍熊尊です。372年新羅から嫁を娶り、百済から七支刀を贈られて居ます。9年後の381年に神功皇后武内宿禰連合軍に敗北です。
③倭国本朝の応神天皇(誉田尊)は、神功皇后が妊娠して居乍ら新羅征伐を行ったと有りますので、福永晋三氏の主張に従い358年生まれとします。16歳での出産ならば、神功皇后は342年誕生となります。381年誉田別尊出産時は39歳です。倭国東朝の天皇です。13年後の394年52歳で崩御となります。従って、次の天皇は倭国東朝側の応神天皇(弟の誉田別尊)です。誉田別尊14歳の395年に仁徳天皇(大鷦鷯)が誕生かも知れません。倭国本朝の菟道幼郎子天皇(万葉集2番歌の行動者作者、392年の百済征伐後無税6年経過後の398年の作品、倭国本朝応神天皇ー誉田天皇崩御1年前、誉田天皇は392年崩御の可能性有り。応神天皇28年386年には高麗からの上表文を見て怒って居ます。)から倭国東朝の仁徳天皇(大鷦鷯)が倭国出身の髪長姫を奪ったのは、16歳とすると、411年となります。
④倭の五王の讃珍と済興武間には交流が無いとの研究が有ります。もしかしたら、讃は倭国東朝の仁徳天皇(大鷦鷯)、珍は履中天皇なのかも知れません。

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