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夜間懇話9 2022.10.25

 夜間懇話7で倭の五王は履中~雄略迄である事を明らかにしました。
武の後に出て来る哲と満は誰かと云う問題です。

 武ー雄略天皇の子は清寧天皇です。当然仕返しで、履中の子孫の飯豊青天皇に殺害されたと思われます。
 仁賢天皇(在位11年間)の子の武烈天皇(在位8年間)は日本書紀では、傷ましく記載されて居ます。
 継体天皇は中々都に入れなかったと云います。
飯豊青(皇女)天皇[在位484年~503年(或いは493年)]、顕宗天皇(在位504年~506年)と仁賢天皇(在位507年~517年)の間でしょう。
 (狗奴国或いは倭国本朝側での並立の海外向けの)継体天皇は494年に即位し、(倭国東朝の)都入場は517年でしょう。
此年24年の詔勅により和年号を発布して居ます。

 新羅側に着く、磐井の乱が起きて居ます。やったのは、哲です。
518年~519年の事です。
継体天皇軍に敗北し、子の満は都督府から落とされて居ます。

 顕宗天皇が、哲であり、武烈天皇が満でしょう。
物部アラカイとは、其は、同じ釜の飯を食った仲ですよ。

 でも、やっぱり、再び、522年に半島軍に敗北してしまいました。


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