見出し画像

歴史変動20 2023.2.3

 今回も万葉集の解読です。
万葉集13番歌14番歌 歌省略
 春香山第三峰の香具山と第一峰の畝尾山が真ん中の第二峰の耳梨山を争って居ると見立てた物です。260年程前の菟道稚郎子と大鷦鷯が邪馬台国出身の髪長姫を奪った事を喩えて居ます。歌われた時代には、孝徳天皇と天智天皇が間人皇女を争った事を喩えて居ます。
 単純ですねエ。唐とのイクサ準備が始まって居るのです。間人皇女は、誰の皇后ですか?敵前逃亡ですか?
 仏教を日本に取り込んだのは蘇我氏、邪馬台国を潰したのも蘇我氏、ならば、嘘付いて、生き残って、唐と戦わ無い様に仕組んだのも蘇我赤兄。
 有間皇子は、真相は、天と赤兄が知って居る。死ぬのは自分一人で充分だと云って居ます。
 詰まり、蘇我氏は、唐の諜報機関なのです。唐のスパイです。倭人もお人好しですわ。
 蘇我赤兄の没年は伝わって居ません。百済戦争、白村江の戦い、壬申の乱で登場して居無いので、660年以前でしょう。
 🟣気が付いちゃったでしょうか?此の異常さに、🟣

万葉集15番歌
右一首、今案、不似反歌也。但、旧本以此歌載於反歌。故今猶載此次。
 何でしょうかね。全く理解出来て居ませんね。

 チャンと記載して有ります。
 亦紀曰、天豊財重日足姫天皇 先四年 乙巳、立天皇為皇太子。
 乙巳は645年です。4年後は649年です。
 もしかしたら、4年前の641年11月17日に舒明天皇は崩御して居ます。
 天皇の系統は、蘇我氏系統の推古天皇は放って置いて、後任は、蘇我氏を避け乍進んで居ます。
 此年に、天豊財重日足姫は天皇に、サチヤマは皇太子になって、嬉しいと記載して有るのです。
 此は、孝徳天皇から間人皇女を奪った仕返しです。
 此は立派な反歌です。
 🟢(外国人は、唐の諜報機関員である蘇我氏を隠す目的で、此様に記載して居るのです。叩き出せ。)🟢

万葉集16番歌17番歌18番歌
 🟤641年から660年🟤に掛けて倭国本朝の天豊財重日足姫が、倭国本朝と共に、倭国東朝でも唐との戦の準備に明け暮れて居る事を、描いて居ます。舒明天皇崩御641年迄とは大分雰囲気が異なって居ると歌って居ます。

19番歌20番歌21番歌
 664年サチヤマ帰国後のサチヤマー天武天皇と藤原夫人とのやりとり(参考103番歌、104番歌)
 🟠もう既に、天智天皇は居りません。🟠
 235~256番歌に、銅銭作りに携わった柿本人麿が🟡660~664年の間に🟡天智天皇と一緒に岡山県迄瀬戸内海を巡幸した事が描かれて居ます。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?