LGBTと敬虔な信徒が共存するために

冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?

さて、先月、僕の職場でジェンダーに関するオンライン講演会を開きました。参加してくださいました方、どうもありがとうございました。その後、何度かオンラインでちょっと気になる意見を見かけたので、今日はその事について書いてみたいと思います。

それは同じ教室に LGBT の人と、LGBTを認めない宗教的な人ががいたらどうするのだという懸念です。これに対して何人かの日本語教育関係者が、「どうすればいいかわからない」と言う意見を表明しています。実を言うと、僕自身もジェンダーの面ではマイノリティではないし、宗教的でもないので、自分の立場として意見を言うことはできません。

ただ、その教室の責任者として日本語を教える場合、何か問題が起きた時に、見て見ぬふりをすることはできませんよね。あ、もちろん見て見ぬふりをするというのも一つの決断ですが、手持ちの情報だけで、もっと良い決断をしなければいけないことがほとんどなのではないかと思います。

それで僕の方から現時点で僕だったらどうするかという考えを書いておきたいと思います。繰り返しますが「これが正解」というわけではありませんし、後から「やっぱり間違っていた」と考え直すかもしれません。その場合は今日のこのブログの記事にも追記として書いておきたいと思います。

【踏み絵を踏んでもらう】

一番現実的な対応としては、共存できそうにない人を教室に入れないということです。と書いてしまうといかにも誤解されそうなので付け加えますが、 LGBT の人やイスラム教徒を教室に入れないというわけではありません。違う考えの人が好きになれなくても、攻撃しないで共存できればいいのです。そして、それが約束できない人を教室に入れないという意味です。具体的には、入学する前に以下のような書類にサインをしてもらうのです。

日本語の教室には色々な人たちがいます。自分と違う人たちを以下のような理由で批判してはいけません。
宗教
性的指向
国籍
民族
人種
これを守れない人はすぐに退学になります。
あなたはこのルールを受け入れることができますか。


僕のブログを読んでくださっている方にはすぐにわかるだろうと思いますが、以下の記事で書いたことを実践するだけです。

むらログ: 多様性を尊重する社会はすべての価値観を尊重するわけではない

もちろんこれで全ての問題が予防できるわけではありません。というのも特定の活動家の皆さんは話題のすり替えが非常に上手だからです。例えばフランスのキリスト教の十字架なら許されるのにイスラム教のスカーフは禁止というルールも、明らかにイスラム教徒を狙い撃ちしているように僕には見えますが、表面的には「どんな宗教の象徴でも小さければいいが、大きくてはだめだ」という理由に基づいています。

また、イギリスの小学校で LGBT に関する教育に反対している活動家も、「LGBT に反対しているのではなく、性教育そのものに反対しているのだ」という言い方をしています。 それはいわゆる避妊方法などの性教育ではないのですが、そのように主張して扇動しているわけです。

ですから現実的に上のような教室内のルールを作ったとしても、何らかの問題が起きる可能性がゼロになるわけではありません。


【何が心配なのか】

しかし話を進める前に、多様な日本語教育の現場をご存じない方のために、どのような問題が心配されているのかを書いてみたいと思います。この部分は日本語教育の経験のある人でしたら読み飛ばしてくださっても結構です。

日本で日本語を勉強している人達は、世界の様々な国や地域から来日しています。その中にはカナダのように LGBT の人たちが特に隠すこともなく、自分の性的指向を前提にした話をする場合もあります。

一方で宗教的に非常に厳格な国や地域からくる学習者もいます。多分 LGBT の人たちは、世界には宗教的に非常に厳格なところがあるということは知識としては知っているだろうと思いますが、逆に宗教的に LGBT を認めていない国や地域の人は、そういう人が大量に存在するということすら教わっていないこともごく稀にですがあります。

その場合、例えばカナダの男性の学習者Aさんが、自分の「彼氏」とか「ボーイフレンド」について話したときに、厳格な宗教心を持つBさんが「それは変ですよ」などとコメントしてしまったりすることも 十分に考えられます。これは特に B さんが意図的に A さんを攻撃しようと思っているわけではなく、本当にそれまで自分の人生の中でそういう人達に接したことがなかったので、悪意もなくそのように言ってしまうことも十分にあるということに留意する必要があります。

僕自身も小学生の時に初めてヨーロッパ系の外国人を見た時に、「ガイジンだ!」と叫んで指さしてしまったことがあります。 その当時はそのように呼ばれることを外国人が好まないということすら知らなかったし、全く悪意などなかったのですが、やはりそれまでの人生に全く縁がない対象に出会った時に、そのように人が反応してしまうことはある意味避けられないと思います。

そして、日本語教師の方はそれぞれ様々な異文化体験をご自分で持っていらっしゃるので、そのようなことはイスラム教などの宗教に敬虔な人と LGBT の人たちの間で起きてしまうことを懸念するのは、ごく自然なことではないかと思います。

そのためちょっと前に書いたように、教室の中の多様性を認めることを書類として作り、きちんと参加者のすべてにサインをしてもらうという対応は効果的なのではないかと思うのです。

ただそれでも、リスクをゼロにすることはできないと僕自身も思いますし、 そのように思う日本語教師の方もいらっしゃることでしょう。


【はじめからリスクは高くない】

しかし僕自身はそれほどそのような事が起きるリスクは高くないと考えています。 というのも、 LGBT の人もムスリムも、相手が特定の属性を持っているというだけで、表立った批判をすることはほとんどないのではないかと思っているからです。

例えば今日本と韓国の間で、政治的な緊張が高まっていますが、それを教室内に持ち込む人はどのぐらいいるでしょうか。 アメリカと中国の間の貿易戦争で、中国系アメリカ人が職場の同僚から攻撃されたりするようなことがあるでしょうか。そのようなことがほとんどないのと同じように、教室内で同級生が相手の属性だけを理由に攻撃し合うようなことはほとんど考えなくていいのではないかと僕は思っています。

この件に関しては一般的な日本人は LGBT の人に対する誤解よりも宗教、特にイスラム教徒に対する誤解というか先入観が非常に強いように思うので、ここではイスラム教徒について書いてみたいと思います。

【中東での暮らしから】

僕は世界で最も厳格なイスラム国家だと言われているサウジアラビアに2年暮らしたことがありますし、エジプトにも3年近く暮らしたことがあります。しかし、イスラム教徒ではない僕に対して「イスラム教の戒律を守れ」と言われた事はたったの1度もありません。例えば1日に5回お祈りの時間があって、その時間はショッピングセンターなども閉まってしまい買い物ができませんでしたが、だからといって「イスラム教の礼拝に参加しろ」と言われる事はありませんでした。

先日インドネシアでも同じような例が話題に上っていました。

インドネシアで『イスラム教について勉強している』と言うと大半の人は親切にわかりやすく説明してくれるが、誰一人として『イスラム教に入りなよ』とは言わないらしい - Togetter

僕がイスラム教徒ではないからといって、そのアイデンティティーを批判とか否定するような人も合計5年間の中東での生活においてたったの1度もありませんでした。

もちろん、イスラム原理主義者というのはそうではないでしょう。そして、イスラムが中心の地域に住んだことがない人にとっては、イスラム教がイスラム原理主義と同じであるという誤解をしている場合も少なくないと思われます。

実際に、コーラン(クルアーン)の中の異教徒を批判する部分を引用する人もいます。しかし、それ以上にコーランには寛容の精神なども多く描かれているのです。他者との共存も。半信半疑の人は参考文献の「預言者による他宗教への寛容さ」をご覧ください。と言っても参考文献を開かない人のほうが多いことを僕は知っているので、二箇所だけ引用しておきます。

“あなたがたには、あなたがたの宗教があり、わたしには、わたしの宗教があるのである。”(クルアーン109:6)
“宗教に強制はない。”(クルアーン2:256)

一方で、日本人が何となく親しみを持っている聖書の中には、驚くほどジェンダー的に問題がある部分や、異教徒に対して寛容でない部分もあります。出エジプト記11章で異教徒の長男を皆殺しにしてしまう場面などは有名ですよね。しかし、実際にそのようなことを考えているキリスト教徒は一部のテロリストを除いていません(そしてそれは本当のキリスト教徒ではないでしょう)。現代のキリスト教徒の多くはキリスト教徒でない人に対してキリスト教の戒律を守るように求める事はほとんどないのではないかと思います。そのような人がいたらそれはかなりキリスト教原理主義に染まっている人だと考えて良いのではないでしょうか。

同じように、もしイスラム教徒の学習者と同じ教室に同性愛者がいたとしても、基本的にはそれほど心配することはないのではないかと思っています。

海外のニュースに目を通していらっしゃる方の中には、「でも実際にイギリスのバーミンガムでムスリムの保護者が 反LGBT のデモをしていたじゃないか」という人がいるかもしれません。僕もこの件については 残念だと思っていたのですが、報道をよく読んでみると、実はアンチLGBTデモのリーダーは保護者ではなかったのです。一種の活動家で、こういう例だけ見て「ムスリムはLGBTと共存できない」とは判断できないのではないかと思っています。以下の記事には、"Lead protester Shakeel Afsar, who does not have children at the school,” と明記してあります。

Birmingham LGBT row: Protesters banned from school - BBC News

また、「LGBT Muslim Protest」などでGoogle を検索してみると、そのほとんどはこのバーミンガムの抗議活動に関する報道で、世界各地でこのような対立が起きているわけではありません。

結論としては、このバーミンガムの抗議活動は一般的なムスリムの行動として認識するべきではなく、活動家に煽動されたもので、このような抗議活動が日本語教室の中で起きてしまう可能性はほとんどないのではないかと今は認識しています。

Facebook で僕の友達になっている方はご存知かもしれませんが、実は僕も Facebook でバーミンガムの件について「これは平均的なムスリムのすることなのか」と聞いてみました。そうすると、 LGBT について授業で教えることについては反対的な立場を表明しているムスリムの友人からも、「このように表面だって抗議活動するのはムスリムにとってよくあることではない」 というコメントをもらいました。

【それでも問題が起きてしまったら】

しかし、その上で問題が起きてしまったら、どのように対応すべきでしょうか。問題というのは例えば前述した以下のようなことです。

カナダの男性の学習者Aさんが、自分の「彼氏」とか「ボーイフレンド」という言葉を使ったときに、厳格な宗教心を持つBさんが「それは変ですよ」などとコメントしてしまったりすることです。

僕はこういう時に一番大事なのは、お互いに共存ができるということだと思っています。単に生存しているというだけではなく、ありのままで存在できるということです。もし相手がありのままで存在することを許さない人がいるとすれば、変わらなければいけないのはその人です。時には出て行ってもらわなければいけないこともあるでしょう。

AさんにもBさんにも、僕だったらこのように言うのではないかと思います。

Aさんはゲイのままでいていい。
Bさんもそのままでいていい。
Aさんは女性を愛する必要はない。
Bさんも同性を愛する必要はない。
お互いのことが嫌いだったら嫌いのままでいい。
だけど相手のことを変えようとしてはいけない。
ゲイや敬虔な信徒であることを変だと言う人がいたら、私はあなた達を守る。

「それって実質的にゲイの味方じゃん」と思われた方もいるかもしれません。この仮定では実際にゲイの人は相手を変えようとしていないので、その通りです。しかし逆に、ゲイの人が「イスラム教徒はゲイを認めないから自分もイスラム教徒を認めない」などと一方的にいう場合も僕は同じことを言うと思います。その場合は、「イスラム教の味方じゃないか」とゲイの人には思われてしまうでしょう。要するに、相手がそのままでいることを認めるということが大事で、それを守れない人には変わってもらうか出ていってもらうしかないということなのではないかと思います。

「そのままでいる」というのは、「変えられない部分はそのままでいる」ということであって、「原理主義者は原理主義者のままでいい」というわけではありません。

そして冒険は続く。

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【参考資料】
預言者による他宗教への寛容さ(前半):それぞれの宗教 - イスラームという宗教
https://www.islamreligion.com/jp/articles/207/

預言者による他宗教への寛容さ(後半):宗教的自治権と政治 - イスラームという宗教
https://www.islamreligion.com/jp/articles/208/

むらログ: 多様性を尊重する社会はすべての価値観を尊重するわけではない
http://mongolia.seesaa.net/article/466624322.html

むらログ: 主張する権利と、それに同意しない権利
http://mongolia.seesaa.net/article/465881791.html

インドネシアで『イスラム教について勉強している』と言うと大半の人は親切にわかりやすく説明してくれるが、誰一人として『イスラム教に入りなよ』とは言わないらしい - Togetter
https://togetter.com/li/1371404

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冒険家むらかみ

冒険家、日本語教育コンサルタント。 『冒険家メソッド』『しごとの日本語 IT業務編』の著者。 「むらログ 日本語教師の仕事術」管理人。発言は所属機関とは何ら関係がありません。未来につながる語学学習の情報を発信中。二人のホームスクーラーの父。

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