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翻訳の不自然さに見る日本人の欧米観

冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?

さて、まずは皆さんに問題です。 以下の文の空欄にはどんな地名が入るでしょうか。

「すごく楽しかったわ。なにしろ、6年間も____の片田舎で女子校生活だったから。____はそれと比べるとはるかに国際的で、男子学生たちがいたわ!」

僕が育った埼玉県も、よく「片田舎」という目で見られますが、ここでは相応しいでしょうか。あるいは最も人口の少ない鳥取とか?

もうちょっとヒントを出してみましょう。同じ人物が話している会話文です。

「子どもたちがようやくママだとかパパだとか言ってくれるようになったの」
「弁護士として、法廷で何かの罪を問うだけの自信がなかったあらゆる局面を覚えているわ」
「果たして自分はこの先そういう人にめぐりあうのか。私は35歳のときに彼と出会ったけれど、自分にそういう愛が訪れるかどうかはわからなかったし、それが手に入らないまま結婚したり、家庭を持つという考えには気乗りしなかったの」
「朝の6時から8時まで、私たちは子どもたちをベッドに来させるの。8時前には電話の予定は入れないわ」

内容から判断できることとして、これを話している人は弁護士で、子供がいて、男性の配偶者がいるということです。 この条件に合う人としては、例えば『だからあなたも生きぬいて』という著書もある大平光代さんなどがいます。ではこの言葉を話している人が大平光代さんだと思う人は、僕のブログの読者の中にいらっしゃるでしょうか。大平光代さんが話しているというイメージで、もう少しこの同じ人の言葉を続けてみましょう。

「もうあなたを知っているような気がするわ」
「午後10時に職場を出ることができれば、それは目覚ましい成果だったわ。なぜかと言うと、そうすればまだディナーを終える直前の友人たちをつかまえることができたから」
「私は報酬の支払われている事件よりも、そういった無報酬の事件の結果のほうが気になったの」
「私はこう思ったの。よし、ビザがおりるのを待つ数カ月間、そっちに行って働こうって」
「私は20代後半だったんだけど、安全性が保障された文字通り山の頂上の宿舎で暮らしていた。私と外の世界のあいだに4カ所のチェックポイントがあったのよ」
「それはこの世でもっとも自然なことに思えたの」
「愛こそが人生の幸福を決定づける最大の要因だし、人はそれをコントロールできないんだわ」
「私は人間としてなんらかの型にはめられるのが大嫌いなの」
「まだまだやるべきことはたくさんあるの」
「同じことがなんども繰り返されている。それこそが悲劇よ」

もうだいぶイメージはできたのではないかと思います。それではもったいぶるのはやめて、最初の問題の答えをお見せしましょう。以下の通りです。

「すごく楽しかったわ。なにしろ、6年間もイギリスの片田舎で女子校生活だったから。オックスフォードはそれと比べるとはるかに国際的で、男子学生たちがいたわ!」

これを話しているのは、アマル・クルーニーという人権派の弁護士です。文章は以下の記事から取りました。

「アマル・クルーニーという生き方。」VOGUE JAPAN  https://www.vogue.co.jp/celebrity/interview/2018-07/amal-clooney/page/7

内容については素晴らしいと思うのですが、やはりこの翻訳がちょっと、僕は苦手なんです。皆さんも感じられたと思うのですが、どう見ても日本人の話す日本語ではありませんよね。いかにも欧米人の女性が話す言葉を日本語に翻訳したというような感覚があります。そしておそらくそれは、上の翻訳を読んだ人に共通する印象なのではないかと思います。

例えばこの記事の最初に出てくるアマルさんの言葉は「もうあなたを知っているような気がするわ」なのですが、もし日本人セレブだったとしても、こんなことは言いませんよね。例えば、「初めてお会いするわけじゃないみたいですね」とか「まるで前に会ったことがあるような感じがしまね」とか、そんな感じになるんじゃないかと思います。

日本人のセレブの話す言葉はどんなもんなのだろうと思って、まず「いちばん有名な日本人セレブ」で検索してみました。検索結果の上の方には海外セレブの話題ばかりだったのですが、日本人のセレブが出てくる記事として、以下のものがありました。

「日本人でセレブといえば誰を思い浮かべる?私が思う日本のセレブランキング」 http://jiji-chatch.com/archives/23699

あまり客観的なデータだとは思えないのですが、この中で女性は一人だけで、神田うのさんでした。それで神田うのさんのインタビューを次に検索して、 最初に出てきたのが以下の記事です。

「神田うの:第7回 今は、子育て以上に優先すべき仕事はないと思っています」 | ママスタセレクト https://select.mamastar.jp/243226

やっぱり普通の日本語ですよね。「~だわ」「~なのよ」なんて一度も言っていません。

この記事はあまり仕事の話は出てきていないので、ビジネスパーソンとしての会話ではないかもしれませんよね。それでもう一つだけ見てみましょう。上の検索の2番目に出てきたの次の記事です。

「神田うの、斬新アイディアを生み出せるわけとは?美脚ショットのポイントも伝授」 モデルプレスインタビュー - モデルプレス https://mdpr.jp/interview/detail/1665004

当たり前ですが、これも普通の日本語です。

僕は洋画も吹き替えも耐えられないんですが、その理由はやっぱりその不自然な日本語。たぶん、画面を消して日本映画とハリウッド映画の吹き替えだけをきかせても、日本人ならほぼ100%、どちらが日本映画でどちらが吹き替えか判別できると思います。言葉を喋っていない場面ですら、「うふふふ」とかいう笑い声だけでも僕は判別できる自信があります。たぶん普通の日本人なら誰でも判別できるでしょう。

そしてもう一つ注意しなければいけないことは、同じ翻訳でも、アジア人の場合はほとんどこのような翻訳にならないという点です。例えば最近、 NHK などを中心に外国人労働者が搾取されている報道が続いていますが、その時に出てくる外国人労働者の言葉の翻訳に「~だわ」「~のよ」などといった調子のものは見つけることができませんでした。つまり、これは単純に「翻訳っぽさ」という意味ではなくて、「欧米人の言葉らしさ」というイメージなのは明らかだと思います。

しかし、ここには2つの大きな問題が潜んでいるように思えます。

一つは、「それって本当に欧米人らしさですか?」ということです。

欧米人の女性って「~だわ」とか「それこそが悲劇よ」とかいうような日本語に相当する、ジェンダーを強調した喋り方をしているんでしょうか。

欧米人の男性も、「それはいつものことさ」とかいう気取ったしゃべり方をしているんでしょうか。

どうして僕がこの手の翻訳に違和感を感じてしまうのかと言うと、何となく日本人が欧米に対して抱いている先入観が透けて見えてしまうからです。だって彼らの英語が特に特殊だというわけではありませんから。

そりゃ確かに、アマル・クルーニーはクールでオシャレですよね。でも、だとしたらクールでおしゃれな日本人が話す日本語と同じような日本語に翻訳して欲しいのです(そして、その日本語は普通の日本語とほとんど同じであるはず)。もしかしたらアマルさんほどの人材は日本にいないという主張もあるかもしれませんが、 こうした翻訳の傾向は、もっと一般的な欧米の女優さんやファッションモデルなどのインタビューなどでもごく頻繁に見られる特徴です。

彼ら自身がそんなに気取った喋り方をしているわけではないのに、日本語に翻訳されるとそういう口調になってしまうというのは、やはりこういう翻訳を受け入れることができる読者(そしてその多くは日本人でしょう)が、「 欧米人はクールでおしゃれでいつもこういう気取った喋り方をしているもの」という先入観があるからではないでしょうか。

さて、こうした調子の翻訳について先ほど「二つの問題がある」と書きました。もう一つの問題は、それをこのようにわざわざ「欧米人らしさ」という印をつけて表現する必要があるのかということです。 言語学ではこういうことを「有標」と言いますが、わざわざ有標化する必要があるのか、ということです。

欧米人も日本人も特にここまで大げさな気取った喋り方をしているわけではないので、 このような翻訳にはその本人ではなく翻訳者が「これを話している人物は欧米人である」ということをわざわざ示し続けているということができます。

しかしここで考えてみていただきたいのです。これが例えば同性愛者に対するインタビューで、本人が普通の英語で話しているのに、その翻訳がオネエ言葉になっていたらどうでしょうか。僕自身はジェンダーの面ではマイノリティではなくて、マイノリティの皆さんの気持ちを誤解することがありますからもしかしたらこれも違うかもしれませんが、おそらく不愉快に思う人が多いのではないかと僕は想像します。そしてそう思うので僕は、ゲイの人の英語を日本語に翻訳しなければいけないことがあったとしても、もし本人の英語がそれほど変わったものでなければ、それをオネエ言葉に翻訳しようとは思いません。

ゲイの場合はマイノリティで、欧米人の場合は逆にマジョリティの象徴のようなところがありますから同列に議論すべきではない、という主張もあるかもしれません。しかし僕はそれには同意できません。なぜかと言うと、 特定の人種だけを持ち上げることは、その他の人種を格下に扱うことを内包しているからです。

こうした調子の翻訳には、おそらく明治の頃からの海外の文学の翻訳の歴史があるのだと思います。その当時は自分達が一生出会うことのない別世界の人という認識が特に間違っていたわけでもないとは思いますから、彼らの使う言語を私たちの使う普段の言語からは全く違うものとして翻訳したことにはそれなりの理由もあったのではないかと思います。しかし、もう今はインターネットで海外の人とすぐに話もできる時代ですし、 そのような特殊な人として欧米の人を表現するのはやめたほうがいいのではないでしょうか。

そして冒険は続く。

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【参考資料】
アマル・クルーニーという生き方。(12)|海外セレブ・ゴシップ|VOGUE JAPAN

神田うの:第7回 今は、子育て以上に優先すべき仕事はないと思っています」 | ママスタセレクト

「神田うの、斬新アイディアを生み出せるわけとは?美脚ショットのポイントも伝授」 モデルプレスインタビュー - モデルプレス 

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