平和思想への始まりか?

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私は天才文学作品の研究や創作にあたって哲学系の勉強が必要な状況で実際哲学書を読むには理解に無理があるんで、理解する為の方法として宗教的な本を一時ではあるけれど読んでます。幸福の科学は読みませんが。
聖書も基本読みませんが、聖書は沢山の天才文学作品の中に登場するんで少しは触れているような状況で、他の宗教・哲学本(生命の実相など)は残念ながら問題ありと感じます。宗教から信仰を除けば思想であり、この宗教に付随する信仰の内容というか活動的な部分が複雑怪奇で異様。当然信仰というのは宗教特有のものではない強く気概的なところがあり、それこそ本物であるとするところは思想書の中にもあり、そういう面は個人の感性や個性として良しとするのだけど。
みずにゃんさんにお勧めしたい本があります。それはシルバーバーチの霊訓です。これは基本はキリスト教です。
キリスト教といえども普通に善霊論であり、主なる神云々ではなく個人が解決すべき因果応報の神の摂理という具合で問題はなさそう。(それでも特殊なところはあるけど)霊的な事に置いては年がら年中拘り翻弄されるのは良くないという事や人間は普通に生きるだけで悟れるように出来ているとさえ言う内容もあり、されど大切な分野の思想を世に繋げてゆく内容です。総合的には平和論的です。みずにゃんさんが今強く感じておられるのは正しく問題のない宗教の必要性だと思う。私は出来れば宗教の発言は避けたい。これが出てくるとかえって恐ろしいものだと認識しているので。それでも今後の世界・地球平和を願うに宗教的な視点は外せない。
私は宗教の変わりに善なる思想の可能性を出すべきと考えます。その場合、やはりある程度の思想等の勉強は必要であり、多分にシルバーバーチの霊訓は非常に役立つと思う。ですから今後のみずにゃんさんの社会への貢献の為にもシルバーバーチを読んで欲しいです。13冊くらいあるんだけど何とか乱読でいいから読み切って欲しいな。宇宙論もある事ですし。
ネットで自由に読めます。活動に置いては一定の宗教や思想を全面に出すのではなく、人である限り本能として知っている善の理性と良識を目覚めさせる事が大事だと思われ、直感的にそれは万人の理解と認識に備わっていると思われます。
えらてんさんを批評しましたが(特にえらてんさんがそうだと言うのではないが)宗教論者の多くは恐怖の概念を持ってくるところがあり、私はそういう人は愚かな考え方をするタイプの範疇と考えます。


みずにゃんさんも感じておられるように、私はみずにゃんさんにいつも平和の為にお願いごとばかり。
今後もみずにゃんさんを応援し頼りにすると思いますが、私なりにノートを今日から始めようと思います。
みずにゃんさんへのコメントは全てじゃないけど、日記として掲載する事とします。

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