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有事のビジネスリスクインテリジェンス 情報の収集と理解(2) 情報を理性と感情のどちらで捉えるか

前回は、有事で自分が下す意思決定や状況判断を起点として情報を収集・理解することの意義について述べました。今回は「理性」と「感情」の視点で観察してみましょう。

観察の前に、そもそも情報とは何なのかという考察を避けるわけにはいきません。日本語の「情報」が意味する範囲が広く、英語であればData、Information、Intelligence、Signなど、目的と具体性に応じた多様な単語が存在します。ただ、それらの単語全てに共通する特徴は、人の理性、感情に作用する無形物であることです。
小難しいこと言いやがって、と思われるかもしれませんが、この後の解説の重要な起点になります。

ややグロテスクな内容ですが、情報とは何かを理解する格好の例なのでご紹介します。佐々淳行氏の「危機管理のノウハウ」に、市ヶ谷駐屯地での三島由紀夫の割腹自殺に関するくだりが書かれていました、三島が割腹自殺をした後、現場の状況を確認した現場の警察官が、正確な記述は忘れましたが、三島の首と胴の距離約1メートルと報告したことが紹介されています。この報告を受けて佐々氏は、三島が死亡したことを確信したとしています。
その現場を目撃した警察官はかなりのショックを受けたに違いありません。これは、事実が感情に与える影響です。しかし警察官は任務に立ち帰り、上記の報告を行いました。
首と胴の距離1メートルは、首と胴が完全に分離し、元に戻りようがないこと、その結果、失血により本人が死亡したことを示唆する事実です。それを聞いて「三島による蹶起行動は終了した」と判断できるようになりました。これは上記の事実が思考に作用したということです。

情報が感情と理性のどちらに作用するかの違いは、情報を受ける側が明確な「ミッション」を自覚しているかの違いです。
現在進行中のウクライナへのロシア侵攻では、フェイクニュースを含め、多くの情報が錯綜しています。ロシアとウクライナの双方は、国際世論を味方につけたり、自国の行動を正当化するための情報戦を、マスコミやサイバー空間で激しく展開しています。
それらの受け手である我々は、情報の一つ一つに感情と理性を動かされます。しかし、紛争の第三者である我々の大多数は、ウクライナへの軍事侵攻においてミッションがあるわけではありません。やや過激に表現すると、紛争に関係しない一般の民衆は、ウクライナの状況を一種の「エンターテイメント」と捉える傾向があり、そのような傾向があることこそが情報戦の「戦機」になるのです。

ある情報に接した時、心と頭のどちらが先に反応したでしょうか。
例えば、戦闘で両親を失った、一人ぼっちの子供の写真を見て「かわいそう」や「ひどいことをするものだ」と感じているときは、その写真から心に働きかける情報を得ています。一方、「この子はどこにいるのだろう」「どうすればこの子は生き延びられるだろうか」と感じた時は、その写真の情報が頭に働きかけていることのしるしです。そう感じる背後には、「この子を救わなければならない」というミッションを無意識に設定しているからです。

経営者は、企業の経営活動において、平時でも大量の情報を処理しています。それが有事となれば、信頼性の低い情報や、感情的な情報などが錯綜し、さらに経営者の判断が混乱させられます。
有事の時こそ、経営判断と情報の収集、処理を分離することにより、経営者が事業継続というミッション遂行に専念できるような意思決定支援の態勢を構築することが重要となってきます。

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