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10年後のわたしへ

高校生の私から大人になった私に手紙が届いた。クラスメイトからの寄せ書きと、大人になった自分に向けての作文。確か国語の授業で書いたものだったと思う。

下手だったけど、表現が好きで必死にバトンを回して、踊って、掛け持ちでoffの日に科学部にちょっと参加したり、新しい知識を得ることが楽しくて勉強もした。
活動的で真面目で賢くて自発的に動く良い子だった。

そんな、高校生の私の私が大人の私に向けて送った言葉は、怖いぐらいに真っ当な人生を歩む自分に向けた言葉であった。当時の私が知る最大の幸せな未来の定義は、周りの大人の期待に応えることで、それを体現したかのような未来。
今の私よりももっと現実主義者で、必死に正解を求めて生きているようみみえた。

小学4年生で拒食症になり、5年生は学校に行かなかった。
一時回復したものの、症状は再び悪化し中学2年も学校に行かなかった。
勉強しろとも一度も言われたことがないし、基本は自由にさせてくれていた素敵な家族なんだけれども、どこかでよき長女でないといけないという圧力を、自分自身でかけて、苦しめていた。

そこから素敵な出会いや家族のサポートで、挑戦することのできた高校時代。
様々なことに自発的に挑戦しながらも、どこかで存在を認めてくれる環境を探し、周りの正解に合わせた自分を作ろうとしていたのだと思う。

大学生になり、社会人になり。
好奇心が幸いし、分野外のユニークな大人たちに会うことが増えた。
正解が一つじゃないということを知った。
周りからは一体何者?なんか不思議だよねっていわれる。
薬剤師、研究、ライター、この前は音楽作りにもちょっとだけ挑戦した。

与えられた正解像に向かって努力するのは分かりやすく、成果も出やすい。
形のない答えを探すのは疲れるし、孤独だし、非効率かもしれない。
それでも、形のない答えを求め作り出す過程の揺らぎが、私の人間らしさを増して、支えてくれているのだと思う。

10年後の私がこの日記をみたらどう思うんだろう。
青臭いこと書いてるなぁって笑ってるかもしれないし、めっちゃ共感しているかもしれない。ただただ、環境が変わっても、不安定さが作り出す安定さの大切さを忘れずに過ごしてほしいと思う。

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