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写真を撮る理由

何のために写真を撮っているのだろうか?
私は「記録」という観点で写真を撮っています。何故なら人は忘れてしまうし、永遠なんて物は存在しないので少しでも大切な物や風景を残す為に私ができる手段は写真しか無かったからです。

もし、皆さんが承認欲求や名誉に重きを置いているのなら何処かで潰れてしまうのでは無いかと思います。先程、永遠なんて物は存在しないと言いましたが「欲求」は人がいる限りは永遠に存在し果ての無い物です。
SNS&写真は欲求を満たすにはとても相性が良い組み合わせだと思います。他人から評価される事や良く思われる事に嫌な気持ちになる人は少ないと思います。しかし本当にそれだけで写真を撮っているのでしょうか?自分が本当に写真を撮り始めた理由は何でしょうか?この問いに答えが出れば肩肘を張らず、もっと伸び伸びと良い写真が撮れると思います。

既に写真に於いて手法やオリジナリティは出尽くしており、大体は過去の模倣か既に誰かが通った道となっている事が多いです。
余り気を衒うような変わった事に囚われずストレートな写真が見る人の心を打つと私は信じています。そのために日々を撮り、細かい変化に目を向け、自分の身近な物から「記録」し続ける事に自分の写真という物を見出しています。私の集めた膨大な記録には当時の友人や自分の姿、今は亡き愛猫が写っています。これらの写真は自分にとって大切な宝となって残っています。

機材や技法、流行り廃りに囚われず自分の中で価値のある物を残して行く事が大事だと思います。是非、皆さんも一度何のために写真を撮り始めたのかを考えて見て下さい。

そこにはきっとシンプルで愛のある答えが必ず在るはずです。

最後の僭越ですが初めてデジカメを手にした時の写真を載せておきます。
当時コンデジを手に入れ嬉しくて下手ながら撮った写真たちです。
恥ずかしいのでお蔵入りしてる物ばかりですが、この時の写真には今は無い大切な何かがあった気がします。2000年になったばかりの当時はどんな気持ちで「記録」していたのだろう?


いつかの岐阜
2000年の横須賀
迫力ある木
朧げな記憶のビーナスライン
何故撮ったのか思い出せない
どこかで撮ったSelf
フェリーのライト これは記憶にある
どこだか不明だけど綺麗
昔の自分が好きそうな写真
今でも気に入っている写真
おそらく光が良かったと思って撮りました
前を歩いているのは、もう何年も会っていない友達
岩手か青森だったと思う
たぶん福島
わさび農園?

曖昧な記憶が多いですが当時の思いみたいなものは感じれました。
Note企画があったので久しぶりに書きましたがやっぱり大変ですね笑

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