自由を求めて、縛られて
自由を求めるあまりに、求めるという行為自体が目的になってしまい、自由になることが二の次になってしまうということは容易に想像できると思う。
「自由であること」と「縛られること」は逆なのだから、自由を求めた結果縛られるのは、あまりよくないと思う。
「進撃の巨人」の主人公エレン・イェーガーは自由を求めるひとだけれど、彼は自由に縛られているのだろうか。
いまのところはわからない。
自分は自由だ、と彼は言っているけれど、それは本当なのか。
というか、そもそも自由かどうかを判断するのはそう簡単ではない気がする。
自分では自由だと思っていても、周りからみたら違うのかもしれない。
しかし、周りからどう思われているかを気にしている時点で、あまり自由とは言えない気もする。
「自由」とだけ言ってみると、それはすごく広い意味を持ってくる。
なので、あるひとが「自由」をどう定義し、それが本人にとってどのようなかたちでフィットするのかを考えておく必要はありそうだ。
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