何かを無断で取られた感じがしたことに

「私には...やりたいことがありません」「いえ、正確にはやりたいことがありませんと言いたくなるほど熱中できるものがない、ということだと思います」
女性は的確に悩みを打ち明けることができた。
「それで、あなたは熱中できるものが欲しいんですか?趣味とかそういうものが」
悩める女に男が尋ねた。
「そう...ですね」「でも、こういう想いを他人にぶつけたところで私の悩みが永久に解消されないことはわかっています」
先ほどまで自信のなさそうだった、今にも風でめくれてしまいそうな読みかけの本のページのように不安定だった女の表情は、幾分きりっとしたようだった。
「ほう、私に悩みを打ち明けることに意味がある?」
と男は言い、その顔には少し女性に興味を持ったような気配がうかがえた。変わった人だなと思ったに違いない。
「その通りですね、まったくその通りなんです」と今度は照れ臭そうに答える。
「世の中には私みたいな人間がいるんですよね、むしろ最近はその類の人間の方が多いんじゃないかって思うんです」
質問の回答を得ることではなく、聞いてもらうことを目的とする人が多いということを女性は言っているのだろう。男は何か言いたそうな顔をしていたが、その女性が立ちあがろうとするのを感じとり、話を持ち出すのをよした。特に何が話したかったわけでもなかったが、興味を引かれたことは確かだという顔だ。
「では、これで失礼いたします」「あなたは何もしていないと思っているでしょうけれど、私の心の風通しはよくなったみたいです、ありがとうございます」
男性がそうかと言うと、女性はその場を去っていった。女がいなくなった静けさの中で男は気づいた。あの女性に何かを無断で取られた感じがしたことに、そして同時にそれが気分を害するものではなかったことに。
「やろうと思えば、きっと彼女はより詳細に悩みを説明することができたんだろうな」

執筆者あとがき:
特に男女の恋模様を描いたわけではないんですよ。こういうこと言ってくる人がいたら純粋に興味湧くよなっていう妄想で書きました。読み直したら恋愛小説の一部かな、と自分でも思っちゃいましたが。

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