ちょっと危ない主人公のような気がしてくる

note(ノート)の方では気楽に書きたいと思っています。


本当かはわならないけれど、エレンは自分は生まれたときから変わってない、父親から洗脳されてもいない、自分のままだと言う。

自由に対する意識がものすごく強いのがエレンだが、最近はそれをさらに強く感じる。

昨日の投稿では「大地の悪魔」は道の少女か?といったことを書いたのだけれど、「大地の悪魔=進撃の巨人」という意見も出てきた。

ある読者さんのコメントを紹介する↓

りんごは進撃の巨人を指すのではないかと思いました。120話のユミル様らしき少女が意思を持たぬ奴隷ということで、ではその「意思」とはどこにいったのか、それが大地の悪魔の欲しかった「意思=自我」なのではないかと。つまり進撃の巨人=自由意志を手に入れた大地の悪魔なのではないでしょうか?

初見では少しつかめない部分があったけれど、どうやら進撃の巨人は大地の悪魔のことであり、ユミル様らしき少女からりんごを受けとったのが進撃の巨人(大地の悪魔)なのでは、ということのようだ。

また、りんごとは自由意志を示しているのではというふうにもある。

まず進撃の巨人が大地の悪魔と考えてみると、すごく危ない感じがする。

今回の話だと、エレンは大地の悪魔(進撃)を身に宿していることになるから、ちょっと危ない主人公のような気がしてくる。

しかし121話を読んでいると、かならずしもエレンが安心できる人間とは思えない。

グリシャを戦わせようとしたときのエレンの表情はたしかに怖かった。

つまり、大地の悪魔がエレンに乗り移ったことでエレンが凶暴になってしまったということなのか?

いや、それはすこし早合点な気がする。

奪われるくらいなら奪うという発想や強盗殺害事件を考えると凶暴に見えなくもないけれど、それでも兵団内でのこれまでのエレンの言動を振り返れば、エレンはそこまで危ない存在にも思えない。

話を戻そう。

大地の悪魔は進撃の巨人のことなのかもしれない。でも、だからといってエレンが悪魔のような存在とは言えない。

エレンは奴隷とか家畜、自分の意思を持たないことを嫌ってます。当たり前なんですが、嫌いな度合いが段違いです。それは進撃の巨人そのものの意思でもあるのではないかなと。そういえば兵長でさえも「こいつを屈服させるのは無理」と言ってます。進撃の巨人=大地の悪魔=有機生物の起源と考えました。りんごをもらう前は意思を持てなかったそれは、なによりも不自由を嫌うのではないかなと思いました。

先ほどのコメントを書いてくださった方からもう一度意見をいただいた。

進撃の巨人は大地の悪魔であり有機生物の起源なのでは、ということだ。

大地の悪魔、つまり進撃の巨人にはもともと意思がなかった、そのあとユミル・フリッツから意思を授かる。

進撃の巨人がいつの時代も自由を求め続けたのは、あるいはもともと自由意思がなかったという体験が大きいのかもしれない。

やっと獲得することができた自分の自由な意思を大切にしているということだろうか。

もし、その気持ちがエレンに反映しているとすれば、エレンの自由への執着はそこから生まれていると考えたくなる。

進撃の巨人の影響で自由を求めようとするのなら、「自分は自由だ」「なににも縛られていない」と言うエレンはほんとうの意味で自由と言えるのだろうか?

エレンは自由なのかもしれないし、同時に不自由なのかもしれない。


こうやって想ったことを書きのこしておきます。


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