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弟子日記  プロローグ

今回は3連休ということもあり、ここ1ヶ月で学んだことをnoteに記したいと思いました。が、しかし!学んだことが多すぎて、本をかけるくらいになったので、

1年間で学んだことは本にしたいと思います!👏👏👏

来年の7月中に本にしようとは思うのですが、1年も待てないなと思ったので1ヶ月のまとめのnoteを書き、それをまとめたものを本として出版したいと思います!

タイトルはまだ未定ですが、
「子供が大人になるまで」なのか、なんなのかは皆様に決めていただきたいなとは考えております。

では、今回はpart1 「弟子日記 1ヶ月目」と称して、
学んだことを10分の1の文章にして、お届けしようと思います!共感や心が動かされた方は是非、このnoteをSNSで共有していただければ幸いです。

お待ちしておりました。たてちゃんの世界でどうぞごゆっくり、おくつろぎください。

プロローグ 

僕は、人生の負け組である。

「僕は人生の負け組である。」
この言葉が自分に一番合っていると思う。高校を卒業後、アメリカの大学へ進学し、1年間で中退。そして、アルバイト生活を経て、起業を起こしたが失敗。今、ある人の弟子をしている。人生に迷いに迷い、何をしているのだろうかと毎日、頭の中を右往左往していた日々もあった。たどり着いたのが、弟子という現在の形態である。これは僕が1ヶ月である人の後ろ付きをして、感じたことを思いのままに綴った文章である。多くの人に届いて欲しい。令和で産声を上げる新生児を。3年後に「スマイルクリエイター」で第一想起になる1人の人間の生き様を。

5月初旬 僕は人生で初めて、人を画面上で見て鳥肌を感じた。


鳥肌というものを感じたことがあるだろうか。
鳥肌とは急激な寒さ、恐怖などが原因で、立毛筋という筋肉が反射的に収縮しておこるものらしい。
僕は当時、全く違う感情で鳥肌というものを感じた。画面上の人の生き様。凄さに鳥肌を感じたのだ。その人は僕の師匠となる人だ。一言でいうと世の中に、みんなが笑顔になるコンテンツを提供している人である。
その当時、僕は友達にも親にも言わずに内緒でイベント会社を立ち上げようとしていた。なぜ、誰にも言わなかったのかというと、失敗をこれ以上世の中に晒したくないという変なプライドと、時代が変わりゆく中で密かに階段を登りトップになったというドラマを作りたかったからだ。今思うと、なんと幼稚な考えなのかと思う。
話を戻そう。僕はイベント会社設立のため事業計画書を書くため、競合他者に負けない僕が提供できるものは何なのかについて調べていた。色んなイベント会社、イベント主催者がいる中、20歳の勘はすごく危ない。他社(者)には負ける要素が一つもないと思ったのだ。今思うとすごい寒気がする(笑)。どこからその自信が湧き上がってきたのか。経験が少ない若者っていい意味でも悪い意味でも凄い(笑)
そんな中、僕のパソコンに現れたのが「アフロマンス」という謎の髪型がアフロのクリエイター。パーティークリエイターという肩書きで世の中にワクワクを届けているクリエイターであった。初めて目にした時、色々なコンテンツを世の中に投げている人なんだなと思った。そして、様々なプロジェクトの詳細や動画を見た。ブログも書いていたので、そちらも閲覧させていただいた。当時の僕は、ある程度お金がたまり、バイトもやめていたので、一日中ブログ、Twitter、Facebookを見てどんな人なのかを観察していた。
僕はこの時に異変に気付くべきだった。人生で初めてこんなに人に興味を持ち、調べたということを。

観察を始め、4日後、ブログは全て読み、会社概要も就活生のように熟読し、Twitterに関しては2年ほど遡っていた。その日、突然、身体中に雷に打たれたような感覚が生じた。なんというか脳天から足のつま先まで電流が走ったという感覚だった。身の毛をよだつような鳥肌を感じ、この人には今すぐ会いに行かなければ。神から言われているような感覚だった。

戦いの始まり


即座に会社のサイトのインフォメーションからメールを送った。

=====
僕は大阪に住んでいる〇〇と言います。
イベント会社を起業しようと準備をしている中でどんな相手がいてもやはり一番になりたいというのが起業する際のポイントでした!
そのため競合するであろう会社をくまなく調べ、7社くらい調べた時にあーこれは確実にイベント業界では王になれるなと思っていました。しかし、8社目に〇〇という謎の知らないイベント会社にぶち当たり越えたいという感情としたいとこを全部やられているという絶望感に襲われましいた。そこでアフロさんのことを調べさせてもらいこの人になら命を全て掛けれる、一緒に何かを作りたいと思いました!
本当に弟子にしてください。どれだけ忙しくても、どれだけ死にそうになっても、ついていく覚悟が決まりました。師匠になってくださいそれだけです。返信お待ちしております。

アメリカの〇〇という大学を1年で中退
後に起業の準備をする。
年齢は今年で21歳になります。
一度お会いしてくださるのであれば、どこにでも飛んで行きます!!!!!!
=====

今思うと、熱量が全然伝わらない、チープな文章だなと思う(笑)。
タイムマシンがあれば、敬語というものを知れと頭を殴りに行ってやりたい。
日本語の下手さ加減にも笑えてくる。

この2日後にメールが返ってきた。
ゴールデンウィーク時であったので、取り急ぎ社内で共有させてもらうという内容だった。

このメールに鬼のような早さで返信。

=====
ゴールデンウィーク後であればいつでも日程を決めていただければ東京の方に伺わせていただきます!
どれだけ熱意があるかだけ伝えたいので返信させて頂きました!!!!!!!!!!!!!
=====

このメールから相手先からの返信がパタリと途絶えた。
一週間ほど返ってこなかった。
ああ、終わったな。また、1からスタートか、と熱が途絶え、頭の中には真っ白のキャンパスに白色の絵の具が塗られていた。ここからどうしていくのか、それすらも考えられなかった。一日中、布団の中で考えたが1つも解決策が出てこなかった。
そんな時、僕はまた、アフロマンスのブログを読み返していた。そこでまた鳥肌を感じた。何をしているんだ。前に進まないと何も変わらない。この人は本当に自分が会わなければならない人なのだと。その時だった。返信が来たのだ。

東京で一度、30分ほどお話する時間をセッティングしていただけるという内容だった。

胸が踊った。ここがチャンスだと捉えた。そして、大阪からこのためだけに夜行バスに乗り込み、東京へと向かった。
深夜バスでは一睡もできなかった。どんなことを話されるのか。どんな考えを持っているのか。ブログを読破し、自信があったにもかかわらず、心配と緊張と焦りでいっぱいだった。会った際のシュミレーションとにかく何度も繰り返した。

決戦の日

5月21日 15:00
渋谷の待ち合わせのとあるcafeに到着した。
待ち合わせ時刻から3時間も早い到着だった。
そこからまた、頭の中でのシュミレーションが始まった。相手がどんな格好をし、どんな雰囲気で、僕の話に対してどのような答えを返してくるのか、正直をいうと20パターン以上のシナリオを頭の中で用意をしていた。準備としては完璧と言ってもいいかも知れない。社内で共有してもらうためにA4サイズに自身の考えや思いを乗せた資料を5枚、4部刷り、打ち合わせ後に自分のことを再起させるためのツールも準備した。
5月21日 17:30
いてもたってもいられず、30分前に到着されるかも知れないと思い、小雨が降る中、ボディーガードがカフェで誰かを守っているように直立で待っていた。通りかかる人が僕をチラチラ横目で観察し、何だこの人と思われていたのかも知れないが、僕はそんなことを考えている暇もなかった。30分、ただただ目的の人が目の前に現れるのを待っていた。
5月21日 18:00
携帯を見ながら、アフロマンスさんが現れた。
あれだけ、シュミレーションをしていたのにもかかわらず、最初の一言目が出なかった。
「大阪から来たものです。」
と謎の一言目。(今、思い出すと笑いがこみ上げてくる。)
軽く会釈をされ、カフェ内へ。
「席を奥にとっているのであちらにお願いします。」と促し、着席。
「どーもアフロマンスです。」と一言の後に、
「もう何かドリンク注文した?」とフランクに会話が始まった。
そう思った。
そこから、
「大阪からどんな人が来たのだろうか」と評価されているような感じがし、僕は当時のなんとも言えぬ空気感。ベテランの落語家と弟子入りを願う何も成し遂げていない青年の間に重いどっしりとした空気感が漂った。
相手が求めているものを話さないといけないと思ったのか、
「どのような話が聞きたいですか?」
とよくわからない質問をした。
「どんな人なのかを知りたいから、気楽に話してくれると聞いておくよ」
そしてここから、僕の経歴となぜ会いたいと思ったのか。そして、これからどうしていきたいのかについて10分ほど自分のプレゼンをした。

その後、アフロマンスさんから
「なぜ僕なの?」
という質問が来た。
実際をいうと、この質問はされるとは思っていたがいい回答がなかった。
「鳥肌がたったからです!」これだと弱いし、
「率直に学んでみたいからです!」これも弱い。
何か自分が感じたことが率直に言いあらわせる言葉はないのか、大物を前にしたネズミのような空間の中、沈黙の時間をもらい言い表した言葉が、
「多分、一目惚れですね。」
「今、彼女がいるんですけど、彼女を見たときにこの人しかいないな。この人とおじいちゃんになっても一緒に痛いなと思ったんですよ。その感覚と近いんですけど、今回の感覚は彼女を最初に見たときの感覚の100倍くらい濃くて、なんというか、この人のもとで何かをしなさいじゃないですけど、言葉で言い表せないですが、神の声みたいなものが聞こえたんですよね。なので一目惚れです簡単にいうと」
本当によくわからない回答だったと思う。
それに対して師匠は微笑み
「昔インターンを募集したし、僕に会いに来た人はいっぱいいるけど、一目惚れと言われたのは初めてだね」
と笑ってくれた。
そのあとのことは全く記憶に覚えていない。そして、しようと考えていた録音も完全に忘れているので、もう空白の20分間である。
最後に
「弟子にしてください」
と言ったのは覚えているがそのほかは何も覚えていない。
「また連絡するよ」と言葉を後にし、cafeを出ていった。

人生で一番の面会が終わった感覚だった。
力が抜け、リラックスをして大阪に帰り返事を待とうとcafeでアフロマンスのブログを再び読み直していた。

無の時間

ここから1週間。返信が途絶えた。気に入ってもらえなかったんだと思った。確かにそうだ。何もイベント経験のない人が東京まで押しかけ、「弟子にしてください」。この30分の面会で弟子にする人なんていない。
どうしようかな。また、人生何度目かわからないが、どん底に落ちた。
あー。あー。と言いながら日々は過ぎていき、だが、友達にも先輩にもビジネス関係の人にも、「6月から東京に行くので会えないです。」とアフロマンスさんに会う前から断言しているので、あとには引き下がれない状態だった。もう一度自分を振り返り、どんな人生を送りたいのかを考えた。
起業をするのか、就職をするのか。
こんなにどん底にいるのにも関わらず、やはり頭から彼のことが離れなかった。
なので、もう一度メールを送った。
5月28日

=====
6月3日から東京で弟子するために家も獲得途中です。
朝10時に会社の前に行きたいと思うのですがいいですか?
=====
ストーカーすれすれのメールを会社宛に送った。家など確保していない。バスのチケットのみだった。
ここでの失敗点は本人の連絡先を会った際に聞いておけばよかったという点。だが、今更終わったことは何も言えない。ただただ、返信を願うように待った。唯一、この件について話していた親からは、
「もう諦めたほうがいいよ。また、誰か現れるから。それまで応援するから。」
と再出発の声

そして、叔父叔母からは
「そろそろ就職でもしたら?お金稼がないと生きていけないでしょ?」

友達からは
「何してんの今?フリーターか?」
全ての問いに関して
「うーん、まぁ、見守っといて」
という力のない返答しかできなかった。
確かに、次の路線。また起業するのかなんなのかを考えようとはした。だが、この人と決めたら、なぜか自分には自信が溢れていきた。絶対いけると。

出発地点

5月30日
寝る間に着く,1時頃。
アフロマンス本人から連絡が来た。
=====
6月3日10時から弟子としてよろしくお願いします。
=====
との連絡だった。

僕は何が起こったのかわからなかった。深夜の頭がぼーっとしている中、ただただ携帯を見つめていた際のメール。あの時の感情は今でも忘れられない。
なんだろうか、傷だらけの僕を助けてくれた恩人というのか。
とにかく、忘れられない記憶の一部になった。そして、ここから僕の生活。
たてちゃん(アフロマンス弟子)の一歩が始まるのであった。


これが僕の始まりであり、本のエピローグとなる部分である。
この続きからは、期間限定で無料公開をするつもりである。また、気になったら応援メッセージをくれると励みになります。
長くなりましたが今後ともによろしくお願いします。

たてちゃん(アフロマンス弟子より)

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