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劇団と自主映画

調味料メーカーで7年弱勤め退職した。世田谷区の風呂なしアパートに引っ越し、アルバイトをしながら劇団で役者活動をはじめた。劇団は、『 ぴあ 』のはみだしコラムで募集を見つけた。劇団ひまわり出身者たちで作った新しい劇団だった。


主宰者は在日三世でハートが熱い人だった。そんな人にひかれ一緒にやることになった。アルバイトは引っ越し後の掃除をしたり、出版社で働きながら稽古にあけくれた。アルバイトなので収入も少く、銭湯にも行けずコインシャワーで汗を流すこともあった。


住んでいたアパートのまわりには芸能人の方も多く住んでいて、何人かと知り合いにもなった。駆け出しの俳優とも親しくなり、彼らはオーディションをいろいろ受けてCMやテレビドラマのちょい役に出たりしていた。事務所に入るのは簡単ではなかった。


当時は大学演劇が盛んで、早稲田や明治、日芸出身の劇団が数千人以上の動員を繰り返し、そこからドラマや映画出演に結びついていく俳優も多かった。しかし僕らのように自分たちで旗揚げする劇団は、いかに観客やスポンサーを取れるかが鍵で、なかなか売れるには遠かった。劇団のほかに、ほかの劇団での稽古や客演をしながらステップアップしていく者もいた。


ある日、自主映画制作の話があり、監督を目指す大学生たちと映画を作った。3部作の一つの脚本を書かせてもらった。短編だったが面白い作品に出来たと思う。また、ほかにも映画の話があったが、それはネットワークビジネスで儲けて映画を作りたいという話で、数百人もの人たちが騙されていた。


結局、劇団も自主映画も作るのにお金がかかり、それを回収もできないまま終わっていった。

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