記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画『佐々木、イン、マイマイン』感想 終わる季節と始まる季節【ネタバレあり】


 想いが迸っているので、ネタバレ前提で書いてしまいます。作品を観てない方はぜひ観てから読んでください。というか、多くの人に観てもらいたい作品。『ジョジョ・ラビット』観た時と同じく、思い出しては泣けてきてしまいます。
 映画『佐々木、イン、マイマイン』感想です。


 東京で役者を目指す石井悠二(藤原季節)は、舞台に立つ事も減り、鬱屈とした日々を過ごしている。同棲しているユキ(萩原みのり)からも既に別れを告げられているが、気持ちの上で受け入れることが出来ず、ズルズルと同居を続けていた。
 ある日、工場でバイトをしていたところ、高校の同級生である多田(遊屋慎太郎)と偶然再会する。悠二は、自分が行かなかった同窓会に、あの「佐々木」が来ていたことを知る。
 佐々木(細川岳)は、高校時代、クラスの男子からは絶対的な存在であり、「佐々木」コールをすれば、教室でも外でも女子がいても、お構いなしに全裸になって踊り狂うという人間で、悠二が役者を目指すきっかけも、佐々木の無根拠な「役者をやれよ」という言葉だった。
 悠二は、佐々木との日々を振り返る中で、芝居や人生への熱を取り戻し始めるが、それと同時に、自分が見ようとしていなかった佐々木の、ある側面に思いを馳せるようになっていく…という物語。

画像1


 音楽PVなどを手掛けてきた、内山拓也監督による長編映画で、佐々木役の細川岳さんが、今作「佐々木」のモデルとなった自分の同級生の話を監督に持ちかけて、企画化した作品だそうです。
 『宮本から君へ』『ザ・ワールド・イズ・マイン』で知られている漫画家の新井英樹さんが、公開前からTwitter上で大絶賛をされていて、僕の敬愛する漫画家がそこまで言われるのであればと、注目した映画でした。そして結果として、この『佐々木、イン、マイマイン』にはどっぷりと没入して泣かされてしまいました。普段、感情移入して物語を観ることはあまりしないんですけど、僕にも、今も付き合いのある同じ名前の友達がいるので、とても他人事として観ることができなかったです。

 今年、2020年に入ってから、この映画の感想書きを始めているんですけど、一応、素人の文章でレビューとか考察としていると、勝手な解釈で上から目線になっているような気がするので、あくまでただの「感想書き」としているんですね。とはいえ、文章にしようとすると、物語の構造とか、人物の配置、画面上の比喩表現など、理屈っぽいことを書きたくなってしまうんですよ。今作でも、そんな視点で序盤を観ていたんですけど、何かそんな視点で観ようとしているのが恥ずかしくなってしまいました。それくらい物語と登場人物の実在感で、「生きている」ということを魅力的に描く作品になっていると思います。
 もちろん、そういう考察するような観方を否定するわけではないし、そういう俯瞰して観る形で魅力を発揮する作品もあると思うんですよね。ただ、この作品に関しては、頭まで物語の中に入り込んで、人生を体験する作品なんだと感じました。劇中の人物、佐々木の生き様そのものが、芸術品になっていると思います。

 佐々木が住む家なんですけど、この雑然とした汚い家で、親が家にあまりいないからという理由で同級生が集まってたまり場にするという図式、もっっの凄いわかるんですよね。「学生時代あるある」なんてもんじゃなく、「え、何で知ってるの?」「あの時そこにいた?」レベルで共感してしまうんですよ。そしてこの作品を観た人の感想もそういう声が多く、その風景が、自分だけが見ていたものではなかったことが可視化されたと思います。
 さらに得てして、そういう家の子というのは、複雑な家庭事情があったりもするわけですけど、学生時代はそこに踏み込んで聞くようなことはできず、ただの遊び相手として過ごすことがほとんどで、まさに佐々木に対する悠二の接し方と同じなんですね。この描き方で、今作の物語が、フィクションであるにも関わらず、とてつもないリアルさを放っているように思えました。

 この作品は悠二の視点で描かれるので、あくまで物語の主人公は悠二で、それに影響を与えた佐々木という男、という図式と思いがちですけど、途中から悠二の回想だけでなく、佐々木だけの視点のシーンも出てくることで、悠二の現在と、佐々木の過去とを並行して描く、2人の物語になっているんですね。
 ただ、佐々木の物語については多くは語られていないんですよね。なぜ、たまにしか父親が帰ってこないのかとか、母親とか他の家族はどうしているのかとか、事情は明かされないままで、悠二が見ているだけだった距離感を、我々観客に感じさせる演出になっていると思います。
 そして、語らずとも充分に佐々木の人間性が伝わるような演出にもなっているんですね。お調子者で道化役に徹するのに、美術部で絵を描いていて部屋にはその作品があり、足の踏み場もない汚い家の中でも、父親の影響なのか、高尚そうな本が置いてあるというような、文系でカルチャー造詣が深そうなところを、きちんと垣間見せてくれるんですよね。
 父親が帰ってきた時の佐々木が、少し嬉しそうで子どもの顔になっているんですよね。おどけてはいるけれど、物凄く繊細で寂しさを持った人間性というのが伝わる、細川岳さんの素晴らしい演技だと思います。

 こういう点を踏まえていると、佐々木が悠二に対してかけてくれていた肯定の言葉、「おまえはやりたいことやれよ」「堂々としてりゃ大丈夫だから」、これがとんでもなく切なく聞こえるんですね。これって悠二に対する優しさでもあると同時に、本当なら佐々木が誰かにかけてもらいたい言葉だったと思うんですよね。自分はそういうことが出来る環境ではない人間だから、悠二や多田や木村(森優作)に人生を託していたということなんですよ。
 悠二が表現を続けるということが、佐々木の人生を使った作品になるという意味合いで繋がっていくように思えました。

 悠二が、恋人ユキとの日々と、青春時代の友人・佐々木を失うという喪失の物語であるはずなのに、作品全体には不思議と何かが始まるような高揚感があるんですよね。その佐々木の遺志のようなものが繋がっているからなんだと思います。いわゆる青春時代の終わりを描いてはいるんですけど、ただ終わらせて老いていくのではなく、それを継いで、また新しい季節を始める物語になっているから、高揚する気持ちになれるんだと思います。その象徴が、悠二が赤ん坊を抱くシーンであり、さらに舞台に立とうとするシーンに繋がっていくんですね。
 悠二の舞台本番直前の高揚と、教室での「佐々木」コール、メインテーマのナンバーガール的なドラムセッションの音楽を重ねる、オープニングとクライマックスでの演出、本当に最高でした。

 メインの役者陣は、森優作さんと萩原みのりさんくらいしか知らなかったんですけど、藤原季節さん、細川岳さんなど、皆素晴らしい演技だったと思います。
 特に、佐々木の最後の救いとなった苗村さん役の河合優実さんも、出番は少ないけれど本当に素晴らしい役どころでした。このカラオケのシーン、本当に佐々木も苗村さんも、可愛らしいけど、哀しくて哀しくて、とてつもなく美しい場面だったと思います。
 内山拓也監督含めて、若い人がこんなにも素晴らしい作品を創ってくれるのが嬉しいですよね。

 10代の時代が特別だとか、青春は過ぎたら戻らないみたいな考え方は、本当は好きではないんですよね。また新しい時代には楽しいことがあるはずだし、探すべきだと考えています。

 ただ、やっぱり戻ってこない時間、失われていくことで輝く時間というものがあるんだと思います。そして、それが新しい時代の力になるということを描いた大傑作です。出会えて良かったと思える作品でした。


蛇足中の蛇足

 ただね、佐々木が自分の人生を他人に託してしまったのが、僕にとっては本当に辛く感じてしまうんですよね。もちろん、脚本に対する批判ではないし、佐々木の心情が理解できないとかではないんですよ。むしろ、それまでの佐々木の表情から全て、わかり過ぎるほどわかってはいるんですよ。
 それでも、佐々木には生にしがみついて欲しかったと思ってしまうんですよね。もし佐々木が、悠二たちの幸せを願ってくれていたなら、佐々木自身が生きて、悠二たちを幸せにするという方法もあったと思うんですよ。
 もう自分の学生時代の記憶とは関係なしに、この作品上の佐々木というキャラクターと友達になってしまう錯覚を起こしてしまっているんですよね。それくらい素晴らしい作品、演技だからなんですけど、やっぱり哀しくって哀しくって仕方なくなってしまうんですよ。

 佐々木の馬鹿野郎。淋しいじゃねえかよ、チクショウ…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?