年が明けてしまいましたが、2020年最後に観た作品となります。映画『ミセス・ノイズィ』感想です。

　デビュー作が高評価された小説家の吉岡真紀（篠原ゆき子）は、娘の菜子（新津ちせ）が生まれてからも作品を書き続けているが、新作はなかなか企画が通らず、スランプに陥っていた。引っ越しをして心機一転を図るも、執筆活動と子育ての両立にままならない苛立ちを感じており、そこに輪をかけて、隣室に住む若田美和子（大高洋子）の、早朝から布団を叩く騒音に悩まされ始める。真紀はクレームを入れるが、聞き入れない美和子との軋轢は深まるばかりで、ノイローゼ気味になっていく。真紀はこの騒動をモデルに小説連載を始めるが、世間の目に触れることで事態は思わぬ方向へと向かう…という物語。

　天野千尋による脚本・監督作品。正直、有名出演者はほぼ皆無で、全くのインディー映画というような作品だと思います。ところが、その作品評価は段々と高まり、上映予定を延長しているそうです。2020年版『カメラを止めるな！』といったところでしょうか。
　物語は、その昔ワイドショーを賑わせた「騒音おばさん」をモチーフにしたのは明らかですが、実話ベースというわけではなく、あくまでフィクションとして創られた展開を見せています。

　片方の視点からの物語を見せておいて、その逆側からの物語を見せるという手法は昔からあるものですが、この作品では隣人トラブルという設定で、「双方の意見を聞く」という形を物語で描いているわけですね。
　全く同じシーンを、視点を変えて違う印象にして見せるという手法も既存のものではありますが、この作品ではあえて同じにせず、ちょっと台詞や表情を変えています。こうすることで、そのキャラクターの主観が、いかに冷静でないものになっていたのかという演出になっていますね。

　この物語は、「本当の悪人はどこにもいない」的な物語構造になってはいますが、僕としては、登場人物全員に何かしらの責任があるように思えます。主人公である真紀はもちろんですが、抱えている事情が明かされることになる美和子にしても、自分の正しさというものを信じ込み過ぎているように見えるところが出てきますね（廃棄野菜を引き取らせようとするところとか）。
　炎上商法を狙う真紀の従弟である多田直哉（米本来輝）は、騒動の主犯格ともいえるし、真紀の夫である裕一（長尾卓磨）の「俺も手伝うから」という台詞は、旦那として最悪の地雷発言で真紀を追い詰めていると思います。
　映画『パラサイト』は誰も悪くないのに壊れていく物語でしたが、この作品は、みんなに少しずつ悪いところがあって壊れていく物語になっているのが特徴だと思います。真紀と美和子の2人の問題と見せかけて、家庭やネット上の拡散など色々な社会問題に波及させていて、なかなかに巧みな脚本だと思います。

　ただ、細かい描写で粗い部分があって、ノリ切れなかったのも事実なんですよね。例えば、スーパーに買い物に来た真紀が、連載小説の反響で読者からサインを求められるという場面なんですけど、一応、出版業界の片隅で関連仕事をしている自分にとっては、リアリティが全くない描写なんですよね。過去のベストセラーの際にメディアに顔を出していたとか、騒動の様子を動画でアップされていたからとか、一応の理由は想像できるかもしれませんが、顔を認識されるほどのものとは思えないんですよね。
　もちろん、真紀が有頂天になっていることの描写＋その後の炎上による世間の好奇の目に反転することの対比になっているんでしょうけど、ちょっと不自然な演出に感じられてしまいました。漫画とか舞台演劇であれば、これくらいわかりやすい「記号」としての演出が受け入れられるかもしれないんですけど、映画でやるにはそぐわないように思えます。

　それと先述したように、この物語の騒動は、当事者たちだけでなく世間を含めた幅広い人間に責任があるという描き方だと思うんですけど、物語の結末は当事者同士だけのものになっているように感じられました。ネット世論という醜悪な広がりを描いているものの、それは仕方のない現象としているようで、その辺りもう少し答えのようなものを出してほしかったようにも思えます。
　何よりも、夫の裕一が良識ある人というポジションだったのが、個人的には納得いかないんですよね。「手伝うから」という台詞の時点で、何もわかっていない男性という描かれ方だと思ったんですけど、そうはならずに真紀の騒動を、よく言えば客観的で冷静に見る、悪く言うとただ何もしないくせに見ているだけで批判する人間になっているように思えました。いや、奥さん、助けてあげろよ。

　よくあるご近所トラブル、ネット炎上、夫婦間の問題、フードロスなど、前半にちりばめた周到なテーマは秀逸なものですが、それにきちんと決着させているのは、ご近所トラブルのみだったように思えます。とても良く出来た脚本だからこそ、もう少し踏み込むことも出来たのではという感想になりました。