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2021年12月15日の近況報告 人権というのは、最も救いようのない奴のためにある

「刈リ取ル者」という「いじめをした相手を見せしめにぶち殺すWEB小説」なんていうものを書いている身がこんなこと言っても説得力がないのだが(まぁあれはフィクションの中のお話だから……)、
 神や仏ですらさじを投げるような救いようのないクズでも、いやむしろ「そんなクズだからこそ」彼ら彼女らを人権で守るべきだ。
 具体的な実例を挙げれば「上級国民」(個人的にはこの「上級国民」という言葉は「憎悪している」といってもいいくらい嫌いだ)の飯塚幸三の馬鹿野郎ですら、人権で保護すべきだ。


 客観的に言えばこいつは事故を起こしたくせに自分は悪くないと最後まで自らが犯した罪から目を背け続けた本物のゴミクズな老害ジジイだが、
 だからと言って個人情報さらしてメール凸電凸をやっていいという免罪符には、絶対にならない。そう「絶対に」だ。それは「私刑」という法律に違反する行為で、法律に基づき罰せられないといけない。


 正直、飯塚みたいなクズには人権をはく奪すべき、っていう考えはとても「キモチイイ」事だし、私だって昔はそうだったのでよくわかる。でもちょっと考えてみてほしい。
 もしも人権をはく奪できるようになると、ではその「人権をはく奪すべき」人間というのは「誰が」「どうやって」「判断する」のか? 「その基準」は「誰が作る」のか? って思わないだろうか?


 もし人権をはく奪できるようになると、はく奪できる側にとって最高に都合のいい世の中に作り替えられてしまう、とは思わないだろうか?
 万一それが実現してしまうと旧世紀のギロチンによる恐怖政治が再来するとは思わないだろうか? 何せ最悪「特定の人間が感情で他人の良い悪いを自由に判断できる」んだぜ?
 そんな「恐ろしい事態」を防ぐために現時点では「誰に人権を与えるべきか、奪うべきか、なんて誰にも判断できないからとりあえず全員を人権で保護しましょう」っていうことになっている。


 だから誰がどう見てもクズで救いようのない、救う価値もない、更生させるよりも殺処分した方が世のため人のため平和のためになるし食料も水も空気も節約できる。
 という人にも、いや「そういう人だからこそ」人権で保護すべきなのだ。たとえ本人に非があってもそこを責めてはならないし、ましてや私刑なんてもってのほか。それが人権というものだ。


https://togetter.com/li/1753329
 それが分からないとこんなこと言いだしちゃうんだよなぁ。ギロチン政治に逆戻りだし、こんなこと言う人はまさか自分自身が「市民の感情を害してギロチン台に連行される」なんて夢にも思わないだろう。
 そこまでの絶対的な自信はどこから出てくるのか、いつ見ても不思議だ。
 昔「いい人だけで国作りたいなー」って言ってた奴も「じゃあその「いい人」の基準ってなんだ?」ってなるのと同じ。

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