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予定を書くだけで生活がメンテナンスされてしまった話

妻が手帳をくれた。
毎年買っている手帳らしいが、今年はまちがって2つ手に入れてしまったらしい。


実は「次の日の予定を立てる」ということをずっとやったほうがいいんだろうな、と思っていた。恐ろしいことに、やっていなかったのである。おかげでほぼ行き当たりばったりな毎日であった。旅行に行くときも、「どうにかなるでしょ!」と成り行きに任せていたのである。

いっぽう妻は、予定をきっちり決めるほうである。旅行なら、旅のしおりを家族のそれぞれのぶん作り上げる。写真も満載で、おみやげリストまでついていて、もはやツアー会社なみのサービスである。


「予想外の楽しいことがあるかもしれない」というのが予定を決めない私の言い訳であった。ただそのぶん、用意周到にはならない。それに、予定を決めたところで、予想外は起きるものである。

それより妻を見ていると、予定をこなす満足感というものがあるように見えた。なんか、楽しそうであった。


そうはいっても計画を立てる習慣がついていない。カウンセリングの練習を仲間とし合うときにいつも「計画を立てる」という目標を動機づけてもらうことにしていたが、みなカウンセリングがへたくそで、いざ計画を立てるためにどうするという話題にまで行くことがなかった。「計画を立てると、ほんとはいいんだろうなー」と思いながら、そのままになっていたのだ。


そんなところに、手帳が手に入ってしまったのだ。『夢をかなえる人の手帳』
なにもそこまで大仰なタイトルの手帳でなくてもいいのだが。なんせ私がやりたいのは、前の日の夜に、「明日はどうしようかなー」ってなことをぼんやり考えて、予定をひとつだけ入れられればもう充分かと思っているのだ。



それをした。すると、、


時間ができてしまった!


たとえば、原稿を書くための一定の時間をどこにするかなんとか考え出す。すると当日、その時間に向けてどうにかしよう。あ、時間が埋まってしまいそうだからここで調節しておこう、、なんて考えてしまっているのである。


おかげで、朝早く起きてしまったり、食事をちゃんととってしまったり、腕立て伏せを130回もしてしまったり、歩いたり運動したりとやれてしまっているのである。


メンテナンスである。これぞメンテナンスである。


かくしてこの原稿も、予定通りに書くことができた。ちょうど正午になったのでごはんを食べるとしよう。


#私の暮らしメンテナンス


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