思考論_第一章_

おわりに|思考家といての原点【1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法】

 本書は私が22歳のときに書き始めた「本質思考論」という原稿を現代に合わせて書き直したものである。

 思考は私の価値の源泉である。思考によって私はキャリアを築いた。そこで最後に、自己紹介を兼ねて私の原点を紹介したい。

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たくさんの方に手に取っていただいた「1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法」(プレジデント社)大反響を記念して、8/14限定で全文を公開しました!ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。引き続き「はじめに」と「おわりに」のみ公開します。令和時代の生き方・働き方をぎゅっと凝縮した一冊です。


 私の思考家としての原点は父親にある。大手メーカーで全共闘の闘士として戦い、40代半ばで退職して精密機器工場を営んでいた父親は、とにかく考える人だった。一緒に釣りに行くといつも「人間は考える葦である」というパスカルの言葉をよく口にしていた。人間とは広大な宇宙と比べれば小さな葦にすぎないが、人間にはその宇宙より大きなものを考える力がある、という意味である。

 昨今のAI恐怖論に触れるたびに、私はこの言葉を思い出す。AIは計算するだけにすぎないが、人間は考えることができると思うと勇気が出る。

 父親は「勉強をしろ」とか「いい成績を取れ」と言わない代わりに、「常に考えろ」と言い続けた。だから勉強はろくにしなかった。

 お金がなかったのか単なる方針からか、我が家では小遣いもほぼなければ当然ファミコンもなかった。ただパソコンだけはあったので、私たち兄弟は自分たちでプログラミングを学んでオリジナルのゲームを作った。山口家では15歳になると基本的な扶養義務は終了したものとされたため、高校時代はバイトと部活の両立に明け暮れた。端的に言えば「自ら創造しなさい」という教育方針だったのだろう。

 私が育った神奈川県県央地区は、湘南爆走族のモデルにもなった地域である。「マイルド」がつかないヤンキー(不良)と登校拒否生徒と普通の子が3分の1ずつくらい。当時はそれが普通だった。校舎中のトイレにドアがなくても、蛇口がすべて曲げられていても、教頭の乗用車が畑に捨てられていても「そんなものか」と思っていた。映画「マッドマックス」や「北斗の拳」の世界である。

 当時の私の役割は先生と不良と登校拒否児の橋渡し役だ。平日の朝はヤクルトレディのごとく登校拒否児の家を回り登校を促し、修学旅行では不良たちのために一晩中麻雀に付き合った。点数計算ができるのが私しかいなかったからだ。

 母は積極的な性格で、私が中学生になってから大学に行き、卒業後は単身日本語教師としてニュージーランドに赴任した。町内会のゴミ当番や家事も当然日本に残されたこちらに回ってきた。家族を残して海外に行ってしまった自由奔放な母、閉塞感のある地方都市に取り残された私は高校を卒業すると釣りに明け暮れて日々をのんびり過ごしていた。小・中学校の友達はこの町でそれぞれ職を見つけていたし、人間関係は心地良かった。

 転機となったのは、大学への進学だ。父の友人が都内の予備校講師をしており、私を授業料免除で入学させてくれた。それによって私はいわゆる受験勉強というものを本格的にすることになり、晴れて予備校と同じ名前のついた大学に入学することになった。大学では要領と人間関係を学び、世界は広がった。人間は環境の奴隷であると、このとき知った。

 居を構えた品川の植本荘は家賃3万円。4畳半で風呂なし。トイレと玄関は共同だった。シェアハウスの走りと言えば聞こえが良いが、私のルームメイトの大半は外国人ばかり。玄関に革靴を置いていたのは私だけ。隣の駐車場の料金は3万5000円だったので、「自分は停まっているカローラ以下か」とぼんやり考えていた。

 父親があれだけ嫌っていた資本主義の道に進んだわけだが、奨学金を返すためには仕方のない選択だった。お金こそなかったが、幸せだった。

 幸せとは物量のことではなく一体性のことである。人と心がつながったとき、もしくは期待と実態が一致しているとき、人は幸福を感じられる。安くて狭い4畳半だったが、私の期待はそれ以下だったということだ。

 今は、努力して成果を挙げる能力より、最小限の力で効率的に成果を挙げる「コスパ力」が求められている時代である。そして、あと少ししたら努力もコスパも意識せず、今あるもので満足する「期待値コントロール力」が主流の時代になる。

 そのためにも、SNSをやめることだ。人間の不幸には2種類あると誰かが言っている。一つは「自分に降りかかる不幸」で、「もう一つは他人に降りかかる幸福」である。SNSはこの2番目の不幸を誘う。

 先述したパスカルの言葉にあるように、考えることは人にしかできない仕事であり、長く続けられる仕事でもある。

本書を通してそれが少しでも伝われば幸いである。未来をどうデザインするかは、あなた次第だ。

山口揚平

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