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男性原理の癒し

男性原理と女性原理、よく耳にしたり口にしたりする単語だけど、定義となるといまいちわからない。
男性原理とは、弱肉強食の弱いものを切り捨てる原理であり、競争主義であるとも言われている。
じゃあ、女性原理というと強さではなく優しさ、競争ではなく協力、力ではなく愛を中心とする主義であるとか。
秘教的、カバラでは、「男性と女性は、〈創造主/神〉の〈無限の光〉を与えるのか受け取るのかということを意味している。」と説かれている。
はっきりした定義を持たないまま話を進めるのが良いのかどうかわからないけど、今、言いたいことを鑑みると、男性原理とは、現代に生きる私達が置かれている社会的環境で働いている原理と捉えたい。
つまり、先に見た競争社会での理ということだ。

資本主義においては、どれだけ個人が資本を有しているかが優劣の物差しであり、その資本を得ることが至上課題であるという考え方だと思う。
だから、縄文時代のように自然との調和よりも自然を破壊しても資本を得ることを選択する。
たとえ、その先に枯渇が待っていようともしゃにむに今を消費する。
こういった価値観の中で、現代人は生きるために労働を強いられる。
そして、より多くの資産を獲得し、それに見合うより良い伴侶を得ようと努力をする。
その手段として権力を欲するものもいるし、人の上に立つ事こそが最大の価値だと考える者もいる。

その為には、他人を蹴落とし、少しでも他人より前に出ようとする。
この姿勢は、少年時代からの教育にも影響を与え、人に勝つ事が大きな目的となり、子供たちは競争をさせられる。
この不自然なシステムゆえに、ある者たちはストレスを抱え、その捌け口に自分より低位の者を攻撃したり、虐めたりする。
この姿勢は、子供だけでなく、大人になってもいたるところで見られる。
まるで上位は下位を虐げても良いと思っているが如くである。
しかし、上位の人間がそれほど優れているのかというと、そうでもない。

私達は、生きるために戦わねければならなかった。
古代より、財を得るために土地を奪い土地を守り、
他者よりも利益を得、他者よりも豊な暮らしをするために。
人々は力を集約させるために、統一した価値観を創造した。
人々の信念をまとめるために、宗教や教義を創造した。
神を語り、道徳を語り、理念を語る。
そして、自分たちとそれ以外という対立を生み出した。

その対立を支えてきたのが剣である。
剣は戦いの象徴であり、勝利を勝ち取るための象徴でもある。
つまり男性原理の象徴ということだ。
しかし、この対立という二元性に疲れ果てた私達は、今、この剣を手放そうとしている。
それが、先般行われた「二元性昇華の儀」であった。

私達は、光であり愛であるのがその本性にあると思う。
別に性善説を語るつもりはない。
たしかに生まれながらにして闇の意識を持つ人もいるが、それはそういった転生の結果だと思う。
そして、この惑星は長い間、闇に支配されたがゆえに私達も本来の姿を忘れ去っている。

男性原理と女性原理は、補い合う性質のものであり、どちらかが優位に立つものではない。
この惑星でとられている男性原理は、その性質が歪められ、いびつな男性性を見せている。
これを癒さなければならない。
だから、僕たちは、剣を置いた。
そして、その身を女性原理の最たる存在である女神に委ねた。

世の男性は、その本性が傷ついている。
その心は、硬く凝り固まり、感覚さえも鈍くなっている。
大きなストレスとトラウマで歪んでいる。
しかし、目に見える他人も同じように歪んでいるため、自分の歪みが見えなくなっている。
社会自体が歪んでいるからだ。
その歪みは、女性原理を抑圧している。
社会の問題は、男性性の歪みと女性性の抑圧が原因だと思う。
歪みのない男性性は、女性を解放する。
しかし、男性性の歪みを修正できるのは、女性原理でもある。
私達は、今、この男性原理の癒しを求める時がきた。
お互いに傷だらけになりながら、剣を振り続ける時は終わりにしよう。
女性原理の癒しを求めよう。
弱肉強食の法則は、本当の自然界の法則ではなく、歪められた理なのかもしれない。
僕は、本当の世界がもうすぐ待っているような気がする。
古い世界や古い信念は、もうすぐ崩壊するだろう。
私達は、新しい世界を創造するんだ。
その為に男性原理を癒して、本当の自分たちの世界を受け入れる準備をしよう。


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