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舞台を見る上で「推し」という色眼鏡をかけてしまうのは勿体ないと思う四季の会の1人である私の独り言

ファンとして誇らしくありたい

Twitterでカーテンコールでのお手振りに手を振りかえすのは如何なものか、みたいなツイートを見て少し考えたのでお話しようと思います。

四季は「推し活」からは遠い場だと思ってた

私は基本的に劇団四季しか見ないので
四季に限った話になりますが。
俳優さんの「推し」を作って
「推し活」のような感覚で
劇団四季を見にこられる方
いらっしゃるように感じます。
とても勿体ないと思ってしまうのです。
考え方も楽しみ方も人それぞれなので
これは私の独り言です。

役者さんに対しての意識


私は昔から劇団四季が好きで
大人になってから自分の足でよく見に行くように
なりました。

母の影響でCDを聴き込んでいたので
昔の四季、
それこそ野村玲子さんや市村正親さん、保坂知寿さん、山口祐一郎さんなどなど
今はもう四季に居ない方々の時代の音源ばかり聞いていました。

なので今の団員さんに関しては、
この間○○のキャスボで見たなあとか
○○役やってた方だ!とか
こういう役どころも上手いんだなあとか
そのくらいの感覚で役者さん個人を
あまり意識せず見ています。

野村さんの舞台は浅利事務所主催の舞台を
何度か見に行きましたが
わー!本物の野村さんだ!
ずっと聞いてきた声だ!
という感動はあれど、
野村さんをめちゃくちゃオペラグラスで追うとか
凄くはしゃぐとかそんなことは無く。笑

そんな訳で俳優さんを意識して舞台を見る
ということを私は無意識にしていないし
しようとも思いません。

でもその方が物語とか歌とか舞台装置とか
大切なものを見逃さずにいられると思うのです。
演者さんは役として舞台に立っていて
板の上では違う世界、違う物語が広がっていて
そこには沢山の工夫と努力が詰まっています。
劇場は芸術的な場所だと思っています。

それに敬意を払う行為として
マナーを守って観劇することは勿論、
素晴らしかったと、ありがとうと、
気持ちを届ける為の拍手や、スタンディングオベーションがあると思っています。
カーテンコールは何度も何度も幕が上がり
俳優さん達が出てきてくれますが
手を振ってくれると
そろそろ退場アナウンスかな?と引き際がわかる事が多いです。
そうしたら私も少し手を振ってアナウンスが流れるまで拍手を送り続けます。

つまり何が言いたいかと言いますと
「推し」として俳優さんのお手振りに喜ぶとか
俳優さんが好きだからという理由で舞台を見るとか、そういうのはバッサリ言ってしまうと場違いなのでは?という事です。
「推し」がいいなら2.5次元舞台なら元々そういった文化なのでそちらをオススメしますし(見に行きはしませんが2.5次元も映像を見たりします)、違うとこでやって欲しいな、純粋に芸術として愛して欲しいなという、私の身勝手な考えです。

観劇垢あるある

Twitterで観劇垢さんのツイート、アカウントがTLに流れてきてあまりにも「推し活」的発想の方が多いと感じます。
それにげんなりして公式以外フォローするのを辞めました。
もっともっと評価すべき所があるのに
劇団四季のファン層って「こう」なの?
と少しショックでした。

楽しみ方はそれぞれなので
私はここで独り言を言ってあとはもう
自分の楽しみ方で楽しみますが、
本当に勿体ない、と感じてしまう、それだけです。俳優さんがどう考えているのかはわからないので1ファンの勝手な語りでしかありませんが。

最後に


もっと芸術的に、もっと大切なものを見て
文字という感想に起こして見ませんか?
感謝の気持ちを惜しみない拍手で
伝えてみませんか?

造り手が居ないと成り立たない舞台です。
もっと造り手の気持ちに寄り添った
お客様が増えるといいなと
思っています。




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