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音の無い心地よさ

月に十日ある休みの日に、丁度よく友達との予定が入っていないと不安になる。

月に一度会いたい友達は大体決まっていて、その友達一人一人と予定を組むことが出来ると、心が潤う。
すきな服をきて、遊ぶ前に髪の毛と睫毛のパーマをかけ直して、お洒落で面白い友達と一番かわいい自分で街を歩くのがほんとうに好き。

その選ばれし友達と予定が合わず会えない月は、なんだか切ないし悲しいし、なんで会えないの?と疑問で一杯だし会えない訳が無いと、会うことが当たり前だと思っているし、自分はその子の月の予定に組み込まれなかったことに、酷く落ち込み、もやもやする。

二十歳を三年過ぎても友達相手に、こんな嫉妬のような独占欲のようなめんどくさい感情を抱くなんて、我ながら萎える。

1人の時間は好きで、蔦屋で本を読むその時間は大切だと思っているが、その1人で過ごす予定の休みが連続で続いてしまうと、ほんとうに、萎える。

高校の時からの一番面白くて一緒にいて楽しくて大好きな友達が、何故か今月どれだけこちらの休みの日にちを提示しても、仕事があるだのその日は無理だので、断られた。

1人でいる休みがが続くと、お気に入りの服を着て代官山まで行って蔦屋で本を読むことも、渋谷に出てお気に入りの古着屋で服をみることも、なんだか凄く集中できないし、退屈だし、何より逆に寂しい。

iPhoneから耳に届く音楽も、街で流れるやや早めのクリスマスソングも、すれ違う人たちの会話や笑い声も大画面から流れる広告も車の音も、全部が煩わしくてうんざりで、お前は独りぼっちだよ。笑われているような、と呪いをかけられている気になって、嫌になった。

映画は、観た後に感想を話しまくりたい自分からしたら、1人で観ることにはちょっと抵抗があったのだが、1人で過ごす休日の過ごし方レパートリーを増やすために、予定がまたない休日の朝、起きて気になっていた映画のチケットを予約した。

二子玉川の映画館で映画を観終わり、観にきてよかったなあと思いながら、いつも通り蔦谷書店に入ったのだが、なんだか凄く店内の音楽も、混んでいて賑わう人々の声も、いつもはたくさんの本に囲まれていて大好きな空間も、窮屈に感じて、蔦屋をでて駅とは逆の方向にずっと歩くとある、広場の方へ向かった。
そこにあるガラス張りの小さなスタバに入り、あいていた席で最近買った本を読んだ。

周りが暗くなってきて外にでて、その広場から駅までの静かで人も少ない整備された綺麗な道を歩く。

音がないって素敵だなと思った。
人の喋り声も車の音も店から流れる音楽も聞こえない、寒くなって冷たくなった空気だけが張り詰めるその道が、凄く心地良くて、1人だったが、何故か寂しくなかった。

普段の生活の中で、音にうんざりしていて、疲れていたのかも知れない。もちろん騒がしいのも好きな音楽を聴くのも楽しいのだが、余計な音がないって、こんなにも気持ちが落ち着くんだなあと思った。

1人でいるのも、やっぱり悪くないなあと思えた。


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