色のついていない過去と色のついた過去

野枝が最近ごはんをフードボウルから食べるようになった。
野枝というのはうちにいる猫のことで、「のえ」と呼びます。たぶん9歳ぐらいだと思う。うちにやってきたときにはある程度大きくなっていたので正確な年齢はわからない。そのころまわりの人は3歳ぐらいじゃないかと言っていた。一緒に暮らし始めてから6年を超えたので9歳ぐらい。
その野枝がうちに来はじめた頃、私は野枝に少しでも長く一緒にいてほしくて、手のひらからごはんをあげていた。そうすればうちにいついてくれると信じ込んでいた。その結果かどうかわからないけれど、野枝はうちにいるようになった。そうして、絶対にフードボウルからはごはんを食べなくなった。おなかがすくと私のまわりでうろうろとして声をあげる。すぐにごはんをもらえなければ足や手や、そのとき近くにある私の身体の一部を甘噛みする。それでもほおっておくとその噛み方がだんだん強くなる。私がなにをしていても、一度私は動きをやめ、野枝のごはんのために手のひらを差し出す。
野枝が家族になってから猫といういきものに慣れた私は猫の家族を増やした。他の猫はフードボウルからごはんを食べる。野枝はそれを見ていて、やはり食べない。
その野枝が、最近はフードボウルからごはんを食べる。気づくと、フードボウルの前で身をかがめかりかりと音をさせている。そうして自由にごはんを食べて、自由に去っていく。そうしていなかったころはフードボウルから食べてくれたら楽なのになと思っていたのに、そうされるととたんに寂しくなる。なぜ私の動きを止めようとしないのか。どうして聞き分けのよい猫になってしまったのか。なんでいまさら。
昔から野枝はよく私のほうを見る。私自身ではなく、私のほう。目があっているようでいて、その視線は私の少し後ろを見ている。部屋のどこか、というのでもない。私のほう、としか言いようがない方向。
野枝が見ているものは私の過去である。猫といういきものを過剰に評価しすぎているのかもしれない。けれど、やはり、過去を見ている。
それは色のついていない過去。

世界のありとあらゆるものには、色がついている。光が色をつれてくる。空は大気圏が青色の光を通すことで青色になる。葉っぱは光合成により緑色になる。色のついていない時間もある。夜になり世界(ひとはいつも自分勝手なので自分がいる場所を世界なんて呼んだりするが、この場合には地球上のごくごくわずかな自分の住んでいるどこかのこと)が闇に覆われれば、ただただ暗くなり色が見えなくなる。闇の中ではほとんどのものが見えないから、色のついている世界のほうで私たちは動くことになるし、自然過去も現在も色付きになる。ほんとうは闇のなかでこそものごとは動くと思うけれど、それはまた別の話。さまざまな色に囲まれて私たちは生きる。それで過去だって鮮やかな色を持っており、その鮮やかさのためにより輝いているようにも見えるし、反対にさらに陰鬱にも見えてしまう。
これは色のついている過去の話。

さて、野枝が見つめている私の色のついていない過去について。私は自分の背中にはもうひとつの世界が張りついていると思っている。ほとんど毎秒ごとに選択を繰り返す私の、選ばれなかった方の世界。それは選ばれなかったのだから実際には起きておらず、正確には過去とは言えない。けれど、選んだあとに選ばれなかったほうを想像してみるということがあり、その瞬間、そこで生きている世界がある。それなら、「選んだ」ときに「選ばれなかった」ほうも存在しているんじゃないか。と考えるのが好きなややこしい性格なのです。というわけで、私の背中には選ばれなかったほうの幾万、幾億の私の過去が張りついて繋がっており、いきいきと世界は続いている。それは選ばれなかったほうの世界なので光なんて関係なく進む。その世界に私はいたりいなかったりしながら、「ある」ということだけは感じている。背中で。そしてそれは背中に張りついているから私には見えない。ややこしいけど。
光なんて関係ないから、それは色のついていない過去である。

離婚届がトレーシングペーパーのように薄い紙で出来ているのは何故なんだろう。婚姻届も同じように薄い紙だったかな。婚姻と同時に離婚の数が大変に多く、用紙を保管するのにかさばるからなんだろうか。(勝手に気が滅入る。)あるいは戸籍に関わる用紙というのはすべて薄い紙で出来ているのかな。それともそれぞれの用紙はそれぞれの自治体によって選ばれる紙が違うのかな。
ともかく、私が知っている離婚届は薄かった。子供の頃トレーシングペーパーは特別な紙で、写し絵をして遊ぶのは特別に楽しい遊びだったけど、同じように過去をこの用紙に写せと言われているのだとしたら皮肉にもほどがある。顔の前に置けば世界はうすぼんやりと見えて色も形もあいまいになった。あの頃の遊びと同じと言われればそうだけど、離婚届は遊びに使うものでは、もちろん、ない。
現在を写しとることも、過去を写しとることも難しい。なぞろうとした瞬間に感情も景色も動いてしまう。上からなぞろうと線を描いた瞬間に、色のついている過去と色のついていない過去がまぜこぜになって別の世界がうまれる。

さて、別の世界に気をとられそうになっていたところに野枝がやってきて、しばらくじっと私のほうを見つめたあと、いつかのとおり私の足を何度か噛み、ごはんを手のひらにのせて食べさせよと要求してきました。
野枝は過去を見つめる。私は見定められないけど背中にほおりこんだ色のついていない過去を、野枝はじっと見つめにやってくる。
野枝がフードボウルからごはんを食べるようになったのがいつなのか、はっきりとした日は知らない。フードボウルからごはんを食べるのを止めたのか止めてないのかもわからない。けれど、最近、私には「選ばなかった」と自覚したいくつかの出来事があった。

その選択と野枝の食べ方とに関係があるとは全く思っていない。

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