世界の五時間

ここらでは私達はちいさな生き物で

失礼をはたらくとすぐに

大きなくもやむかで、へび、いのししに怒られる

だからよく外を見ていないといけないよ

たとえば夏には緑は目をあげるたびに濃くなる

ぼんやりしていると

だるまさんがころんだで

緑にゆびをきられてしまうんだ

あるいはうんざりするほど雨が降ったり

あるいはかぼちゃの茎がどんどん伸びて家を覆ってしまったり

やっぱり外をよく見ないといけないよ

名前を知らない花や虫で大混雑しているから挨拶は欠かさずに

あそこらでは

星も見えないしひとの表情もみえない

見えないものだらけだな

だけどかわりにビルが夜にはきらきらと輝いてくれる

一夜に世界中の音楽も聴ける

それで私達は大きい生き物のように感じられる

軽くアクセルをふむと簡単に景色が変わる場所だ

あらゆる味が買えて

次々と刺激が求められ応えられ

どちらかが好きでそこに棲む場合もあれば

どちらかにしか住めずそこに棲む場合もあるね

だけど完全に棲み分けがされてしまったら

表現は必要がなくなってしまう

自分の住んでいる世界とは別の世界を想像することが

表現の最初ではないかしら

私達はいつでも

生死のことしか考えられないのに最近は生死を考えない

世間では

一日に五時間ずつ寿命が延びているというけど

いのちは数分ずつ鈍くなっているように感じる

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