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お金がない話と猫の話

こんにちは。

前回の更新から少し日があいてしまいました。

今日も大学の図書館から書いていますが、7月に入って試験が近くなってきたからか先週の何倍もの人がいて、いつもの席にはとても座れず、隅っこにやっと席を見つけたところです。 

図書館の人のあまりいない感じが好きだったので、7月だけは足が遠のきそうです。 
代わりにどこに行くのかというと、多分その辺のカフェなのだろうと思いますが、今月はお金がないので、そのうち空き教室を探し回るようになるのだと思います。

書いていて思いましたが、お金がないのは何も今月に限らず、いつも、ないです。 ですが今月はより一層、ないです。

(「無い」のに、より一層「無い」というのは表現がおかしいのですが。)

バイトはしているのですが、給料の半分以上は家賃で消えるし、あとを食費と交通費などに使ったらもうほとんど残らないのです。

それなのに夏のTシャツを新しく2枚、本も新しく2冊、お笑いライブのチケットも何枚か買ってしまったし、友人とごはんを食べる約束などもいくつかしてしまったので、本当にお金がないのです。(笑)

それでも一人暮らしを始めて2年目となればお金が無いなら無いでどうにかなるということも分かっていて、月の後半はもやしと豆腐で凌ぐんだろうなあとか想像する程度でそんな大変な気分にはならなくて、いやはや逞しくなったものだと自分で感心します。

結局、私が言っている「お金がない」は本当の意味で「無い」わけではなくて、ただちょっと足りないよなあというくらいなのですよね。

給料日前の1週間とかは本当に「無い」という感じがしますけどね。
(たとえば、口座の残高が数十円になったり、Suicaにチャージするお金がなくてバイト先まで歩いて行ったり、お米が切れても2kgのは買えなくてとりあえず90円くらいの食パンで凌いだり…)

こういう生活に慣れるのもどうかと思うのですが、慣れてしまったものは仕方がないです。 案外どうやってでも飢えることはないんだな、と学生の身分なりに感じられたのは良かったんじゃないかと思います。

いざとなったら日雇いの工場勤務とか倉庫とかに行けばいいし。 (食品梱包系と運送系のに行ったことがありますがそんなにつらくなかった。)


あ、別にお金がない話をしたかったわけではないのですが、今日は特に書くこともなく…

なので最近の読書の話をします。

相変わらず保坂和志ばかり読んでいますが、

先日『明け方の猫』を読み終わって、その中に収録されている「揺籃」という短編が私にとってはもう衝撃で、保坂和志ってこんなのも書くのか! と震えています。

『プレーンソング』とか『季節の記憶』とかから入ったのもあると思いますが、あんなやわらかくてあたたかな光が空間全体を満たすような日常の風景は「揺籃」には全然なくて、

夢の中で起こるようなカオスをそれは見事に描写していて、読むだけでどっと疲れるというか、変に必死な感じを覚えてしまって、ページをめくりたい気持ちとこのまま読むのをやめてしまいたい気持ちがずっと並存していて、読み終わっても言葉にできないものが痕跡として心に残って、とにかく今まで知らなかった保坂和志、でした。

もう一度読もうと思うけど、しばらくはいいやという感じです。あれを繰り返し読めるメンタルが私にはない…でも絶対にあと一度は読みたいと思う。

それで今は、前にnoteのコメントを通して教えていただいた『この人の閾』を手に入れて読んでいるのですが、やはりこういう雰囲気がたまらなく好きだなあ…と感じています。

ゆるやかで、行き過ぎない自由があって、もうそこだけで足りていて、そこから何か真新しかったり傑出したものが生み出されることはないのだろうと思わせてくれる雰囲気が、やはり良いなあ、と思うのです。

それでいて、その描写を辿る読者の私たちは不思議としあわせな気分に包まれるのだから、小説は本当にすごい。 小説家はもっとすごい。


保坂和志ばかり読んでいるせいで、犬派だったのが猫派になりそうです。

そんな「派」などと言わずにどちらも愛せばいいのでしょうけど、道端で猫を見かけると以前よりもずっといろいろ思うようになってしまって、もし新しく飼うのなら猫にするだろうなと。

保坂和志の小説には猫の中でもよく「茶トラ」の猫が出てきますが、私が今まで生きてきて一番親しくした猫はおそらく「灰トラ」、つまりサバ猫? だったかもしれない、と記憶を掘り起こしながら思いました。

その子も飼ったわけではなくて、ノラで庭に来たのをつい可愛がってしまった、というだけなのですが、そのうち来なくなってどうしたのだろうと思っていたら隣の家の飼い猫になってしまっていて、幼いながらも寂しく感じたのを覚えています。

黒と灰のしましまがきれいで可愛くて、人懐っこさからみて元は飼い猫だったのだろうと思いますが、あの数週間でも家の庭に来てくれていたのは楽しかったなあと。

名前まで付けてしまったので、隣の家の飼い猫になって違う名前で呼ばれているのを聞くと変な感じがしたのですが、それでも道で見かけて私が付けた名前で呼ぶと、ちゃんと振り向いてこっちに寄ってきてくれたものです。

最初に会ったのが小学校の2,3年生のころで、何年か経って中学に上がってから見かけたときも、その名前で呼んだらちゃんと振り向いて体を私の足に寄せるようにしてきて、「猫だってちゃんと覚えているんだ」と感動したのでした。 
そういう風に律儀に覚えているのは犬だけかと思っていたのです。

いつしか見なくなって、私も実家を出てしまったのでこの間にしんでしまったのかなと思いますが、それでも毛を撫でたときのふわっとした感じとか、しっぽの太さとか、私に気づいてテテテ…と小走りで寄ってくる姿とかはちゃんと思い出せて、しかもその場所まで覚えているのですから、人間だって大したものですよね。


あぁ、天国で元気でいるかな。
久しぶりに会いたくなっちゃったなあ。

おわり。


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Imaka

東京で一人暮らしの学生です。 4年生になりました。日記をつけてみたいと思ってnoteを始めました。 自然と珈琲が好きです。
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