人生で影響を受けた事柄について

先日、深夜練の帰りにみんなで飯を食っている時に「人生で一番影響を受けた本はなにか?」という話になった。

元々あまり読書家ではないので、その時パっと浮かぶ物が無いままその話は流れた。

わりと様々なことに影響されやすい性格だと思っていた自分が、影響された本という問いかけに即答できなかったのが、自分でもなんだか意外に思えて、帰宅後もなんとなしにそのことを考えていた。

改めて思い返してみると、影響されたものなんて星の数ほど浮かぶ。

人、言葉、音楽、映画、ファッション、ライフスタイル、思想...etc.

それこそ枚挙に暇がないってやつだ。

そこで、その中で比較的パッと浮かんだもの、その上で今の自分の人格形成にもその影響があるであろう物や人物、出来事を書き留めておこうとふと思った。

というわけで、今回は映画『INTO THE WILD』と、俺に大きな影響与えた友人Kについて当時の状況や気持ちを思い出せる限りで書き留めることにした。

この作品を観たのは23歳の時、当時付き合っていた彼女と新宿のミニシアターだった。

作品自体は放浪の旅の果てに、アラスカの荒野で死体になって発見された青年クリストファー・マッキャンドレスがどうしてそんなことになったかを解き明かす為に、彼の辿った道のりを追跡取材した半ドキュメンタリー作品が原作の映画だ。

当時、自分が初めてダンスチームを組んだ時の仲間のKが躁鬱病に苦しんでいた。

Kは一つ年下だが、頭が良く、ユーモアがあって、人望もある。

高校時代はファッション雑誌に出てたりもして、ファッションセンスもルックスも良く、時間や約束にルーズなこと以外は非の打ち所のないやつだった。

正直その華のあるキャラクターが妬ましくもある反面、ひとつ歳下の後輩に対して抱くのは憧れの気持ちが強かった。

今でこそ羨望の対象となる相手の年齢なんて気にしないけど、チームを組んだ当時(19歳の時)は多感なお年頃だったのか、年下に憧れの気持ちを抱くことが恥ずかしくも思えて、本人の前でそれを出したことはなかった。

当時の俺にとって、多くの物を持っている様に見えたKは、当然のように何かしらの形で成功を収めるのだと当時の自分は思っていたし、たぶん周囲の人間も似た様な評価を受けていたんだと思う。

でも違った。



それなりに幸せに生きるには、Kは頭が良過ぎたんだと思う。

長く付き合っていた彼女と別れたあたりからKの中で何かが変わり始め、その賢さ故に物事の真理が見え過ぎてしまったKは生きるということに絶望した。

当時の自分にとって『INTO THE WILD』の主人公クリスは、そんなKにどこかダブって映った。

クリスは頭が良く、高校を首席で卒業し、有名大学に進学。

家族もクリスはエリート街道のど真ん中を突き進んでいると思っていた。

そんな、周囲の人間を賢いクリスは侮っていたと思う。

クリスは賢さ故に自分の思想を疑わなかったし、他人の声を聞き入れることを知らなかった。

旅の道中には、クリスに思いを寄せる少女や、クリスを実の孫のように思う老人等、彼を欲した人間達もいた。

自分を疑うことを知らなかったクリスは、それらの人達の呼び掛けを、時にソローの言葉を引用したりしながら振り払い続けた。

その結果、目指したアラスカに辿り着いたクリスは、夢にまで見た文明から解き放たれた荒野での暮らしに充実を得て、帰ったらこの旅で得た学びを本にしようと考えた。


が、間も無く、突然の嵐により川が氾濫し、クリスは退路を断たれる。

その結果、濁流が落ち着くまでアラスカの荒野での生活を余儀なくさせられたクリスは、食糧を得る為に、水牛を猟銃で狩ったものの、防腐処理を施すこともできないので、あっという間に水牛にはウジが湧き、無意味に命を奪ってしまったことに嫌気が差し、動物を糧にするという選択肢を放棄する。

結果、草や葉、木ノ実を集めて食糧とすることになるが、食用の草と誤って、毒草を口にしてしまい、ジワジワと身体の自由を奪われていく。

毒によって身体が麻痺し、餓えによる死を待つのみとなったクリスはここに来て初めてここまでの旅で関わってきた人達や家族に思いを巡らせる。

最後にお世話になった老人には「私の孫にならないか?」と求められた。

気持ちは嬉しいが…と断りを入れたクリスに、老人は「あまり頭でっかちになるなよ。」と声を掛けて送り出した。

クリスが侮っていたであろう老人の最後の一言は的を得た助言だった。

時を同じくして、家族の元にもクリスが家族に相談なく休学し、量を引き払い行方をくらませたという知らせが届く。

毒による麻痺により、身体の自由を奪われたクリスはほぼ動かない腕でペンを握りこの旅を綴ってきたノートに最後の言葉を書き残す。

実家ではクリスの行方不明の報せを聞いた厳格な父親が堪らず家の外へ飛び出し、道路で崩れ落ちる。

クリスに最期の時が訪れる。


この旅から戻ったら本を出版しようと考えていたクリスが、旅での出来事を書き留めていたノート、その最後に綴られた一言。


"Happiness is Only Real When Shared. "

幸福が現実となるのは、その幸福を誰かと分かち合った時だ ……うろ覚えだけど、たしかそんな意味合いの言葉だったと思う。


当時の自分はひとつの真理だと思った。

クリスは自らが欲した荒野での生活に充実を得た。

しかしながら自分の在り方の正しさを過信したあまりに盲目になり、独りで命を落とした。

その結果、クリスの得た充実は誰とも分かち合われることなく、残された世界では現実となり得ない。

友人Kと似ていると思った。

Kも自らの聡明さ故に、足を止めるという選択肢を見失った。

その結果、ニーチェ風に言うならKは深淵を覗き込み過ぎた。

映画を観終わった後、自分はKがクリスの様になってしまわないかこわくなった。

でも、既にKはダンスを辞めて接点がすくなっていた上に、心を患ってる相手に自分はどう接するのが正しいのかわからず、芋を引き続けて連絡をできたのは2年後くらいだった。

某フェスに出演した時に、ゲストを取るから観に来ないかと思い切って誘いを掛けてみた。

久々に会ったKは、ちょっと何言ってるかわからない時もあったりしたけど、大分元気そうだった。

波はあると言っていたけど、存命ならそれでいい。

久し振りにに会ったKは、当時の自分が羨望と嫉妬の眼差しを向けていた頃よりずっと等身大の人間だった。

自分が変わったのか、Kが変わったのか、きっとどっちもなのだろうが、Kが人間味を帯びたことで羨望よりも親近感が湧いた。

本来弱きは持たざる者と当たり前に思っていたけど、多くを持っている人間の弱さを知れた気がした。


なるべく人の弱さに気づける人間になりたいと感じたし、幸福もその逆も分かち合える相手を持とうと思えた。

そして、人生は適度にバカである方が良くて、自分がわりとバカで良かったと思えた。


そんな気づきをくれた映画と友人のはなし。

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