異種格闘は唐突に

 短剣。国によってその定義は違うだろうが、ここ、ピッツォでは、懐に入れてもその刃先が出ないもの、と定義している。そのため、短剣の用途は、護身用または暗殺者や侵略目的で潜入してきた敵対組織の者が懐に忍ばせ、己の身を守ることにその主眼を置いている。決して、そう、決して主武器となりうる物ではないのだ。
 かといって、この手の中にある物が唯一の得物であることは事実。
 短剣を握る右手に力を込める。ジトリ、と背中を汗がつたう。
 カランキは対峙する相手の様子を伺いながら生唾を飲み込む。そんなはずはないのだが、生唾を飲み込んだ音が空気を震わせ、そのことが相手を不機嫌にしてしまわないか、と心配になる。
 当然、その心配は杞憂に終わる。なぜならカランキの周囲は高い壁に覆われ、その壁の上には観覧席があり、カランキとその対峙している相手を安全な場所から歓声とともに見下ろしているからだ。カランキが発した喉の音などその歓声に掻き消される。
「一体どこからこんな化け物連れてくるんだよ・・・・・・」
 カランキが呟く先には歓声に首の向きをくるくると変えるオオカマキリの姿がある。その大きさは、カマキリの腹の辺りがカランキの頭の位置にあるほど大きい。歓声を上げる観客たちはカランキがその鎌で八つ裂きにされることを望んでいる。
 カマキリから注意をそらすことなく手の中の短剣に視線を落とす。もしもこの短剣に魔法でも付与されていれば勝機もあったかもしれないが、手の中の短剣はただの短剣だ。いや、ただの、というのは少し正しくない。切れ味は悪く、一体どこにおけばここまで、というような代物だ。
 空からは太陽がカランキを照らし、まるで太陽までもがカランキの体力を殺ぐためにあるかのようだ。
「いけね。疲れてるな。・・・・・・まぁ、仕方がないけど」
 秋とはいえ、雲一つない空から照りつける太陽光線はなかなか侮れない。その光を遮る物でもあれば別だが、カランキが立っている場所は平らに均された場所であり、影になっているようなところはない。
 歓声に首を回していたカマキリが、カランキの方を向いた。
 ジリジリとカランキの方に向かって歩いてくる。
 どうやら人の言葉など解さないはずのカマキリでも、観客たちが何を求めているのかをついに理解したらしい。カランキは永遠に理解して欲しくなかったが、その願いももはや届きそうにない。
 短剣を改めて構える。
 これでも自国ではそれなりに腕の立つ方ではあった。競技会でも何度か上位に入賞したことがある。もっとも、出場した競技会では全て人相手だったし、上位に入賞したことで顔を知られていたためにこんなことになっているので、今となっては競技会になど出場しなければよかったと思っているが。
 カマキリがついにその必殺の距離にカランキを捉えた。当然、リーチが違うのでカランキが短剣をふるってもカマキリには当たらない。
 カマキリが腕を振り下ろしてくる。カランキはそれを紙一重で回避する。観客が息を飲んだ。カランキが振り下ろされたカマキリの腕に向かって短剣を突き刺す。が、悲しいかな短剣は弾かれ、刹那の瞬間の中で短剣から金属片が剥がれ落ちるのをカランキの瞳は捉えていた。観客席からは笑い声が響く。
 どうやら短剣の寿命をさらに縮めてしまったらしい。
 あわててカマキリから距離を取る。
 やはりこんな武器で勝てるわけがない、と再認識し、観客席で笑っている奴らを憎々しく思う。特に貴賓席でふんぞり返っているであろう相手に向ける悪感情は一入だ。
 空で鳥の鳴き声が響いた。
 秋にしか鳴かないパーニアと呼ばれる大怪鳥の鳴き声だ。
 それがわかった瞬間、観客席で悲鳴が上がる。それは目の前のカマキリも例外ではなかった。落ち着きなく周囲を見渡し、体の向きを落ち着きなく変えている。
 カランキが立っているコロッセウムを、突如影が覆った。見上げれば、パーニアの威容がそこにはあった。パーニアはそのたくましい足でカマキリを鷲掴みにすると、再び空に飛び上がった。
 怪鳥が飛び上がり、その身が無事であることを知ると、観客たちは安堵のため息をついた。やがて、観客たちがコロッセウムの中心に誰も立っていなことに気がつく。ざわめく観客たちを見下ろしながら、貴賓席の男はその口元を憎々しげに歪めていた。


「助かった・・・・・・」
「怪鳥の背中でいうセリフじゃないよね」
 カランキの身は空の上にあった。カランキを運んでいるのは、先ほどカマキリを掴み飛び上がったパーニアだ。
「いやいや、本当に助かった。こんなナマクラの短剣じゃ絶対に勝てなかったからな」
「腕とって関節きめればよかったじゃない」
「無茶いうな。大きさが違う。関節極めようとしても力で振りほどかれるにきまってるだろ」
 カランキが会話しているのは全身をパーニアの羽で飾り立てたマントで覆った人物だ。中性的な声からはその性別をうかがい知ることはできない。
「確かに、大きさが違うね。ともあれ、無事でよかったよ。一緒に買い物に行くだけでまさかこんなハプニングに巻き込まれるとは思わなかった」
「まったくだ。で?問題なく目当てのものは買えたのか」
「カランキがカマキリと踊ってる間にね」
「そりゃようござんしたね」
 ふてくされたカランキを、パーニアが笑うかのように一つ鳴いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?