東京の「地下鉄」は、目玉焼きの匂いがする

「いかに自分の存在を消せるかどうか」
満員電車に乗る人々が、共通して思っていることではないだろうか。音楽を聴くのも、スマホを眺めるのも、本を読むのもそう。みんな、電車じゃない違う世界に没頭することで、密集した空間にいる自分を守っている。

下手に動いて痴漢だと勘違いされたくないから縮こまり、スマホを覗き込まれたくないから画面を暗くしたり。
隣にいる生まれも育ちも知らないどこぞの誰かに、これでもかというほど神経を使っている。見えない闘いというか、見えない殺し合いというか。

自分の消し合いのあの空間に、例外なくわたしも息がつまる。朝はギュッと詰め込まれたあの箱の中で息を殺し、なるべく動かず、見られないように過ごしている。頭上で動くモニターの広告なんて顔を上げないと見れないから眼中にもなく、スマホを眺めながら通勤をする。
周りにいる知らない人に触らないよう、そしてたまに蹴られたりするとムッとしながら、狭い箱の中で前へ進むのを待っている。

息苦しくて嫌でしかない地下鉄の車内のあの感じ。
もっと広くなって、人が減ればいい。車両を増やして、もっと快適になってほしい。勝手ながら、そんな風に思ってしまう。遅延だって多いし、時間通りに来てくれない。そんな大変な思いをしてまで朝会社に行くのも嫌で、なんだかもう電車のせいになればいいのにって八つ当たりする日だってある。無意識のうちに、わたしは地下鉄が嫌いだった。

いつも、ムワッとしてる。
駅の中は決していい匂いなんかじゃない。下水のような、人の汗のような、なんとも言えないあの匂い。いつまで立っても好きになれない。

そんな不快な臭いのする地下鉄で通勤していたある朝のお話をひとつ。

いつものように地下鉄の改札をくぐり、やってきた電車に乗ったときのこと。
ドアの端に立っていたわたしのすぐ横に、2人の子連れのママがいた。子供は2人とも座らせて、自分は立って面倒を見ている方だった。優しそうな、少し小柄なお母さん。

右耳だけにイヤホンをする癖があるわたしは、左側で話す子供達の声をなんとなく聴いていた。最近のアニメの話とか、幼稚園の話とか、お互いの話をしていたとき。電車が止まってある駅に着いた。
ドアが開いた途端、いつものあの匂いがむわっとして、わたしはやっぱり嫌な気分になったのだけれど。

女の子がドアの方を見ながら
「めだまやきのにおいだよ!」と叫んだ。

めだまやきの、においだよ。

ちょっと衝撃で、そしてなんとなくわかるようなその台詞に、寝ぼけていた目が覚めてイヤホンをとった。

そうかそうか、目玉焼きか。
わたしが不快だと思うこの臭い匂いは、この子にとっては目玉焼きの匂いがしたのか。
不快なんてものは、この子にはきっとなかったのだ。
朝ごはんの、目玉焼き。たまごの素材を生かしたあの、目玉焼き。
純粋でなんの疑問もなく、おいしそうな匂いに例えた女の子。そこに嫌味なんてなくて、あったのは少しのワクワクだけだった。

人が集まって、どこかへ向かうためのあの電車。
誰かにとっては不快なのに、誰かにとってはおいしそうな匂い。きっと、もっといろんな思い出が詰まっているのかもしれない。あの女の子にとってのおいしい空間であるように、そこを通る人々すべてに、なにかしらの思い出があるのかもしれない。
そんな風に思ったら、少しだけ地下鉄が大事な空間に思えてきた。動かしている車掌さんがいて、乗る私たちがいて。
もしかして、人が集まってすれ違うのは、全部あの電車の中だったりするのかな。

東京の人混みも、悪いものじゃなかったりするのだろうか。
ひとりひとりにストーリーがあって、すれ違うあの人にも家族がいて恋人がいて、わたしが歩まない人生を歩んでいる。
いつ誰が死んだかもわからないくらい人が溢れているけれど。
その分、人の優しさや思いやりが埋もれてしまっているけれど。
その中で光るちょっとした気持ちや楽しさがわかれば、幸せだったりするんだろうか。
東京に住んでいる限りその答えはわからないけれど。

すくなくとも、わたしにとっての地下鉄は。
もう目玉焼きでしかないから。
悪さもしないし怒りもしないし、ただ、優しいあのまるまるとした卵だから。
なんかもう、それでいい気がするのだ。
なんかもう、そんな風に東京が優しくなればいいって、切に思うのだ。

これからの年末。きっと人身事故が増えて、電車が止まるのだろう。
新しい何かを迎えようとするとき、そして終わりでもあるとき。命を断とうと地下鉄に身を投じる人がいるかもしれない。
そんな時に、人ごとではなく少しだけ思いを馳せられるようになれればいいなと思う。
進む電車を遮るのは、一つの命であることを忘れちゃいけない。命を運ぶその箱を止めるのは、まだある一つの命なのだ。

あなたにとって、地下鉄はなんの匂いだろうか。
もしかして、目玉焼きだったりするのだろうか。
もしもそれが優しい匂いだったら。
きっと、毎日がすこしだけ幸せに過ごせてるはずだと、そんな風に思うのです。

※目玉焼きのイラストは、下手ながらも自力で描いたものでございます…

#エッセイ #東京 #イラスト

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saku

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