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「自信」が得られるなら、私は今すぐ整形する

ブスだと言われて23年。己の顔から目を背け、根暗な女として生きていたら、なんともうすぐトシオンナ。12年前はトシオンナなんて響は知らなかったから、今になってやっと自覚をする。
もうわたしは子供じゃない。子供じゃないのに、顔はまだ若干幼くて、子供じゃないとは胸を張って言えないのが悔しい。

好きな男性や気になる人にこそすぐに顔をネタにされ、気付いたらこの歳よ。
一部の男性の「可愛い」という言葉も、いつのまにか難聴になっていたので耳に入らない。その一方で、言われたくない嫌な言葉は器用に耳石を揺らして頭に入ってくる。
大好きなあいつの「ブス」という言葉で、我慢していたものが泥のように汚い姿で流れていく。言われる言葉に気にしてないような、でも本当はすごく泣きたいような気分を抱えながらなんとか生きていたら、随分心は強くなってしまった。
もう痛みは大分感じない、鋼のハートを持つ私です。

めちゃくちゃ好きだったあの人に、「お前の子供はどうせブスなんだろうな」と笑い者にされたあの日から、なんかもう全てを悟った。
遺伝子レベルでけなされて、次の世代の我が子を罵られたあの日、なぜわたしは今まで整形をしなかったのかを真剣に考えた。

私の顔がめちゃくちゃ可愛かったら、多分こんな思いをしていない。
だったらいっそ、つくりかえてしまえばいいんだ。

いちばんの原因は、わたしが中途半端なブスだということなのだろう。からかえないほど醜く目線を合わせることすら苦である、そんな風に取り返しのつかない「ブス」ではないけれど、褒め称えるほどの可愛さもない。その日のコンディションによってはたまに可愛く見えてしまうこともあるのかもしれない。だけどまあ、こいつ俺のタイプではないしからかっても許してくれそうだし、なにより「ちょいブス」だし言ってもいいか。そんなかんじだ。
それは自分でも自覚していることだ。壊滅的に顔が醜かったら、おそらくからかえもしない。

これがいけない。
中途半端なブスが一番笑えない。永遠に終わることない生ぬるい地獄のような思いをして生きていくのだ。可愛くなろうと努力をしても、「中途半端なブス」から抜け出すことは、もしかしたらできないのかもしれないのだ。
この永遠のループ。振り幅のせまい変化の中で、私たちは精一杯自分を磨こうと日々努力をする。

もういっそ殴って蹴って、顔について突っ込めないくらいブサイクになれば、傷つくこともないんだろう。話題にすらならないほど、触れてはいけないくらいのブスになればいいのだ。

大学一年生の時に、真剣に整形を考えた。
アンバランスな奥二重が嫌で、まずは目を整えようとして美容整形外科にいった。
これは前の記事にも書いたお話なのだけれども。
担当のお姉さんは驚くほど綺麗なのに、綺麗で怖かった記憶がある。お人形を見てる気分だった。
結果、前金だけお支払いしてわたしは整形をしなかった。
結局、できなかったのだ。いろいろ考えた結果、整形で幸せにはなれないと、なぜか確信してしまったのだ。

わたしが整形をしなかった理由はたった1つ。
整形をしたら、その先の人生の理不尽をすべて整形のせいにしてしまうと思ったから。
あのときお金を出して顔を変えたのに、せっかく勇気を出したのに。そんなふうに、起こりうる悲しい出来事をすべて「整形したのに」と、追いやってしまうと思ったからだ。
この顔を変えたところでわたしに自信なんてつかないと、それを言い切る自信があったのだ。

整形を悪だとは一切思わない。てか、なんならしたいしわたしもはやく美女になりたい。
だけどわたしの場合、したところでどうせ今度は全てを整形のせいにしてしまって、幸せにはなれないんだろうなって思った。
全ての理不尽を「わたしはブスだから」で納得しようとしてた。逃げようとしてた。嫌いな自分の顔のせいにすれば、貶されることにも納得がいくのだ。

それが今度、可愛い顔になって同じことが起こった時。
わたしはきっと、なにも成長しないこころで同じことを思うのだ。
お金を払ったのに、なぜこんな思いをしなければならないのかと。自信を持って顔を変える勇気が、わたしにはない。ないし、この先もいらないと思った。

根本は、そこじゃない。
そうじゃないのだ。
自分の顔を、好きになりたいだけなのだった。
この顔を、人生を一緒に歩んだたったひとつのこの顔を。

今のわたしはというと。
お給料のほとんどを、化粧品とお洋服につぎ込んでいる。飲み会はほどほどに。自分を魅力的に見せる方法を、少しでも可愛く見えるように、日々とにかく修行だ。
たくさん勉強したいから、ファッションの世界で働くことにやりがいを感じる。見た目なんて、努力するばどうとでもなるのだとそう感じる。

なりたかったわたしは、顔の可愛いわたしじゃない。ちやほやされるわたしじゃない。
顔に引け目を感じないほど自分に自信の持てる、そんな今の私だ。だいぶもう、顔に対してのネガティヴはふっとんだ。
あの頃泣いていたわたしに会いにいけるなら。
いつか、そんな嫌いな顔でも「今日いい感じじゃん」って褒められる日が来るのだと、そう伝えたい。

#エッセイ #コラム

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