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社会人に「下積み時代」は必要か

若手の転職が当たり前になってきた今日この頃。新しい会社で新しい自分として働くのはもちろん、会社という「組織」から抜け出し、様々な働き方で活躍する若者も多い。
わたしの同級生もまた然り、新卒で入った会社をやめて起業して行く人たちがとても多い。わたしでは到底考えられないことまで考えて行動する彼らを、内心羨ましくも思ったりもする。

「新卒で入った会社を〇〇ヶ月でやめました!」「内定蹴って、〇〇になりました」
そんな感じのセリフを、最近よくツイッターで見かけるようになった。ここnoteという場もそうで、同時の方法で稼いだり、独立したりする人がとても多い。

そういうのを見るたびに。
あれ、企業で働くことって、もしかして現代ではマイナスなイメージになっている?
そんな風に思う。
「一つの会社に長くいるんじゃなくてもっといろんな世界を見たほうがいい」「若いんだからいろいろなことに挑戦したほうがいい」「もっといい上司に巡り会えるよ」
そんな風に、先輩たちからアドバイスをもらうことが多くなった。
どちらかといえば、わたしも彼らの意見に賛成だ。この長い人生、一つだけの会社で過ごすのはなんだかもったいないと思うし、やりたいことが更新されていくならば、いるべき場所も当然かわってくるものだと思う。

だけど、ひとつの組織でとにかく働く、まずは、もうやりきった!って思えるまで数年単位で働くことって、悪いことなんだろうか。
そんなことを考えるようになってきた社会人2年目。
もうやりきった!この会社は自分には合わない!もういいかな!そういう本当の意味での理解って、数ヶ月や一年で生まれるものなのだろうか。人それぞれなんだろうか。
後輩ですら「転職を考えている」「この会社にずっといる気は無い」という言葉を平気で口に出す。
中には、「上司のことが尊敬できない」と、もう会社に対して疑っている人もいる。
パワハラとかセクハラとか、そういうブラックな部分は一旦ここではおいておいて。そういう類のものがあるならば今すぐに身を守るために離れるべきだと大声で言いたいので、ここでは触れないでおきたい。

現代の若者たち。
組織で数年単位で働くことにネガティブな印象を持ちすぎではなかろうか。
自分を価値にできる会社というものは現代には確かにあって、働き方は信じられないくらい多様化した。それが職業になるの?!なんてものもいっぱいあるし、これが時代の変遷と言うのなら、わたしは10年後の日本を全く想像できない。あと、どんな仕事が生まれるんだろう。そもそも会社とか組織とか、そういうものはどんどんなくなっちゃうんだろうか。

わたしにとって、この2年間は修行の日々であった。社会人二年目、まだまだ下っ端で、経験不足のひよこだと思っている。

会社に入る前、社会のことなんて知っているようで本当は知らなかったし、組織というものがどういうものか、実際に働いてみてわかったことがいっぱいある。
今だって、ある程度自分の頭で働いて仕事を作れるようにはなったけれど、それでもほんとうに未熟で、もっと経験を積まなければ一人前になれないと思っている。

わたしの職業がクリエイティブ系だということもあるのだろうけれど。
手や頭、身体を使う仕事において、下積み時代というのは必ずあると、わたしは断言する。
アスリートやアーティストもそうで、自分の力で「仕事をした」といえるまでには、年単位でかかると思っている。突然、一人前のように売り出せる人はまずいない。考え方、作り方、売り出し方というのは、それを知り尽くして成功した人からしか学べない。それが、先人の知恵だ。

才能というのは確かにあって、その開花が早い人も確かにいるけれど。独自のやり方を発掘できる人も世の中には少なからずいるけれど。
下積みを経験して、組織や社会について徹底的に研究した人こそ、売り方というのがわかるのだと、わたしは思う。土台を作った人というのは、何かと強い。

自分と周りを俯瞰してみると、「下積みを経験している」と実感している若者は少ない。
自分って意外とできるな、とか、上司ってたいしたことないな、とか、自分なりに悟っている若者がめちゃくちゃ多い。もちろん、わたしもその中の一人であると理解している。
若い人の意見が通じない社会なんじゃないか、もっと自分を商品にできる仕事があるんじゃないか、そんな風に自分なりに社会に疑問を持つこともいっぱいある。理不尽で嫌なこともたくさんあるし、なんやねんとふてくされることだって。

だけど、いつも頭のどこかでわかっている。
どんなに理不尽でも、どんなにいらついても、それでも組織の上の人というのは、上にいる理由が絶対にある。
その人たちにもそれなりの歴史があって(密度スッカスカの意味不明な人も確かにいる)組織と社会のことをわかっている人なのだ。

なんだかんだ、年の功というのは厚かったりもする。場数をこなして、様々なトラブルを乗り越えている上司は、あきらかに経験値が自分とは違う。わたしはそれをわかっているから、どんなにむかついても、絶対に尊敬の気持ちは忘れない。忘れてる人間、マジでダサい。

むかつくなら、その上司を超えるくらいの力をつければいいだけの話だ。その感情をしごとにむければいいのだ。仕事のストレスは、仕事でしか発散できない。むしろ、ストレスなんて少しくらいあったほうがいいのである。

そもそも、社会の基盤というものは、てんでそこらの突拍子も無い事件で変わるわけでは無い。少しずつ少しずつ、時代の変遷とともに変わっていって、それに適応するように社会も姿を変えていく。
色々な会社があって色々な人がいるのが世界なのだとしたら、それもまた組織。
どこにいっても、わたしたちは人と関わらなければならない。
だとしたら、組織での立ち回り方、自分の価値の測り方というのは、人の中にいないとわからないのではなかろうか。そういう意味では、本当の意味でひとつの会社のことを知れたと言えるのは、なかなかの年月がかかる気がする。

好きなことを仕事にしている人に共通していえることは、時間に対してうるさくないということ。
効率とかお金とか、そういうものの前に、まず夢中になっちゃってる。
アスリートやアーティストが「残業したくないので、ここまでで帰ります」というだろうか。コーチが嫌なので、練習しませんと、投げ出すだろうか。
まず、ない。
もう、生活の一部なのだ。成長のためには、なりふり構わない姿勢が何処かにある。
この「夢中」こそ、仕事をするにあたって最も大事なことではないだろうか。夢中に勝る感情は、この世にない。没頭している人間には、どんなスパイスもただの砂だ。

わたしは、何事にも「基礎体力」が必要だと思っている。勉強も運動もそうで、何かをするためには、まずはそれに耐えうるための体力をつける必要があると考えている。
勉強だったら基礎知識。基礎なしで応用問題は解けない。知識だけではなく、勉強を続けるための持続力が求められる。長時間座っていられる精神や、問題への集中力なども、基礎体力に含まれる。

仕事でもそうで、この先の長い人生を生きていける程度の、そして成功を生み出すための基礎体力というものをつける必要があるのではないか。働き方、自分のキャパ、組織というもの、上下関係。若者がわかってますよーと言いたげな顔で語るこれらは、以外とみんなわかってない。わたしもまだ、完璧にはわかってない。
それをわからないと、成功し続けるのはちょっとだけ難しいのだ。
それこそが、若手が迎えるひとつの門で、乗り越えた先に、今よりも楽しいワークライフが待っている気がするのである。

だから、組織で働いて下積みをするというのは、わたしは悪いことではないと思う。
世の中にはサラリーマンがほとんどなのだし、生きるために仕事するのが大前提。みんなどこかの組織で誰かと働いて、下っ端時代があるのだ。

それをどう過ごすか、何を自分なりに知ろうと前のめりになれるか。本気で考えて夢中になれる人だけが、数年後仕事で活躍できる人間になるのだと思います。活躍の場は決して最初に入った会社でなくてもいいと思うし、場所は様々だと思う。

だけど、組織で働く身として。
人と関わり合って働く経験はとても大事だと思うし、上司や会社、社会のことを完璧に知った!と断言できるのは、本当に先のことなんだろうなと思うことを、ここに書きたかったのです。困った時に責任を取るのは下っ端じゃなく上司であるということ、夢中になって下積み時代を楽しめたその先に見えるものがあるのだということを、ちょっとだけわかったわたしが書いておこうと思ったのです。

受け身で愚痴ばかり言っていたら、それなりの結果になっちゃう気がするから。
わたしはいつも、そしてこれからも、自分の頭で考えて仕事に対してガンガン攻めて働きたいです。

#エッセイ #仕事 #ビジネス #就活 #転職

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