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COMITIA137『暮らしの中にある宇宙』紹介記事

はじめに

 どうも!あひるひつじです!
 前々から自分の文庫本を作りたいという夢があったんですが、それを叶えるためにこの企画がスタートしました。全て手探りの状態から始まった文庫本作りでしたが、たくさんの人の助力を得て、こうして完成まで漕ぎ着けられました。本当にありがとうございます。
 今回、制作した本には音楽にまつわる十八編の文章が収録されています。僕の尊敬するクリエイターの方々にお願いして(無茶振りして)書いていただいた文章はエッセイであったり、フィクションであったりバラエティに富んでします。どれもその人の人柄や、価値観、世界の見え方が現れていて、とても興味深いものになっています。どれも素晴らしい文章なので、ぜひ手にとって頂けると嬉しいです。当初の予定を大幅に上回る258ページで読み応えもたっぷり!

抜粋紹介

 八時二十分、教室に担任がやってくる。廊下でガチャガチャとロッカーを開けて、それなりに重い聖歌集を取り出す。殴れば人は殺せなくても昏倒くらいはしそうだった。渡り廊下から煉瓦造りの校舎を眺めて、ぺちゃくちゃ喋る。八時三十分、講堂。それぞれ赤い硬い椅子に座る。その間にもオルガンは鳴り響いていて、それでもおしゃべりは止まない。先生の目が厳しくなるので、ひそひそ。 

聖歌312番 スヤリ
「ガチカスやんけ」
「でも俺らって全く楽器弾けんけさ、もっとカスらしいで」
「俺らってゴミカスなん?」
認めたくない事をハセチャンに聞いてみる。
「ゴミカスではあるわ、なんも弾けん癖にサボっとるし。練習してもぼちぼちのカスに成るだけやで」
「俺らってボチカスになれるん?」
僕の変な略語がウケたのか、ハセチャンは少し息を噴き出す。

あせばむふゆ ぽん缶
 友達はライブの日付を忘れて自分のやっているバンドのレコーディングを入れていたらしい。そうかあ、今日一人か!久しぶりのライブハウスに緊張していたが、一人参戦となるとなおさらドキドキする。あれ、開演前ってどこに居たらいいんだったっけ。柱に寄り添っておこうかな、ちゃっかり最前列だけども。

一日 もちうめ
「わしらは、全然、ほんまにみんなに迷惑かけてばっかで、助けてもらってばっかで、でも、だからこそこうやって感謝を伝えたいんよ。じゃけん、歌わせてや。そんで盛り上がろうや。絶対に、絶対に忘れられん夜にしようや。準備はええか。やるど、楽しいことしようや」
 演技がかったその言葉たちは、あるいは呪言だったようにも思える。言い終えると同時にレスポールは歪んだ音を出した。

パンクス・ネバー・ダイ あひるひつじ
 味は不明だが、ルックスだけで見ればとにかくインパクトのあるものを追加しただけの、とんでもなく荒削りなメニュー。一歩間違えれば和洋中全ての料理に対しての冒涜にもなりかねない、しかし、一度目にすれば目を離せない不思議な魅力がある。
 これは正にパンク・ロック・メニューだ。これをオーダーする以外に無い。なんなら、これがパンク・ロック・テストでこのメニューをオーダーすることで厨房の奥の扉が開き、ピストルズを演奏するキッチンボーイ達が轟音を響かせ現れるかもしれない。

町中華にて dyism!
 そんな調子で姉の予想に違わない音楽人生を送っていた僕だったが、高校一年の冬、僕はとうとう「人が歌う曲」に興味を持つことになる。サカナクションの『「バッハの旋律を夜に聴いたせいです。」』だ。ボーカルの山口一郎氏が四体の人形とともに踊るMV、詩的な文章にも語感だけを考えた単語の羅列にも取れる不思議な歌詞、そしてゲームミュージックで育った僕に
あまりにも聞き馴染みのある、それでいて異質な印象を抱く電子音。そのどれもが衝撃的で、サカナクションというバンドに惹かれるきっかけには充分すぎた。

特別でない嗜好 テクナン
 聞こえない夜は物足りないこと。軽い気持ちで聴いた母の好きなアーティストの曲を、いつの間にか私の方が詳しくなっていたこと……。思い返せば返すほど、ちょっぴり切ない気持ちになります。ああ、あの日にはもう戻れないんだなあ、と。思い出は何故だかいつも蒸し暑く、曇り空です。夏の水泳練習が終わったあと、急いでバス停へ向かうために裸足になって走った記憶が、いつも頭によみがえるのです。

音楽の話。 えびせん
 ただ、そこにどうしても惹かれるものがある。哀愁なのか、懐かしさなのか、他とない挙動なのか、正直どれもそうだしどれも違う言語化できないものだと思う。だからこそ好き嫌いははっきり分かれるに決まっている。ただぼくは音のキャッチーさと詩の不安定さ、絶対に誰にも真似できないような言葉選びや情景に、酷く悔しさが湧きたつ。絶対に彼にはなれない。はっきりと自覚させられる。

音楽との出会い方を再考する。 近藤英理
 あ、いまここ夢の中だな。仏教的な倍音が漂う空間には、夢らしくないリアルな輪郭でもって母とわたしとの日々が映し出されていた。夢を夢だと分かっているわたしは、せっかくだからと腰を据えてその映像を見た。母の次は父、その次は夫と、これまで失った大切な人たちの記憶がやたらと鮮明に再生されていたのだった。
 リアルな夢から覚めた朝ぼらけに、はかない命のきらめきのようなカスミソウからわたしのなかに流れ込んできたのは、散る花のイメージと、なに宗だか分からないお坊さんの読経が混ざり合った不思議な歌だった。

『V散華のちR邂逅』 td
 カチ、と音がしてたばこに火がつく。彼と私は静かに煙を見つめていた。十二時を回っても暗い夜はまだ終わらなくて、私たちにとっては日が登るまでが今日だった。つまり部屋が明るくなっている今、別の今日がやってきている最中だった。
 朝日が昇るとその部屋は水色と橙とで照らされる。彼の部屋はどこか時代錯誤で、フィルムカメラを通したように懐かしい匂いがする。次第に冬の澄んだ、しかしどこか仄暗い光がこの場所に訪れていた。なんとなくはっきりした世界を見たくなくて眼鏡を外した。これは目が悪いものだけが得られる特権だ。

君と私のソネット スヤリ
 アカペラサークルに所属していました。その中でも特にムードメーカーとして努めて明るく振る舞うことに注力しました。部内での人間関係のトラブルなどを解消する立ち回りを心がけました。同時に遠征費と勉強のために居酒屋のアルバイトをしていました。好きなものは吹奏楽部の彼で、なぜなら、えー理由は……学部の授業で少しだるそうにしてるのに、トロンボーンをウキウキした顔で手入れしてたり、楽譜の読めない私にも呆れずに歌の解釈に付き合ってくれるところとか、真っ黒な楽譜に向き合う真剣な眼差しとか、それから……。とにかくこのMVをみてください……。

こえとすいそう 近藤英理
 いつの間にか言い逃れができないくらい「大人」の年齢になっていた。九と四分の三番線は遠ざかって、夜更かししても怒られることはない。大学時代には反骨精神をかかえていた友人が「仕事はつまんないよ」なんて腑抜けたことを言う。急な誘いをしたって、海には行けない。スマホの中で可愛らしい女の子が波にはしゃいでいる。彼女は「白瀬百草」と名乗っていた。
インスタを覗いてみても更新は去年のままで、青くて短い髪の彼女が笑っている。同い年の彼女が作る曲に勝手に共感していた。だけど、もうあの子は歌わないかもしれない。二枚目のアルバムはずっと買えないままだ。

ななちゃん スヤリ
 コンビニを見つけてトイレを借りて、ついでに水と酒を追加で買う。上流に向かって進んでいるから、風景は徐々に田園と高速道路ばかりになり、街灯が減って辺りは暗くなっていく。でも、飲めば飲むほど、視界は冷静になって、暗くても、大丈夫。その代わりか、耳が少し遠くなるような、違うな。曖昧になるような?気がする。聞こえるべき音が分からなくなって、普段聞こえないような音が聞こえる。草木の会話や、虫たちの足音。アコースティックギターを強気に鳴らす音……なんでギターの音が聞こえるんだ?分からない。そのギターが他のどの音よりも鮮明になった時、音の発生源が暗闇から現れた。
 その娘は、河川敷の芝生に座って、ギターを弾いて大声で歌っていた。

悩んで歌って子供みたいに 小林透
 眼前に映るのは、宇宙の星々を思わせる揺らめきながら光輝く無数の粒子たち。部屋の闇と画面の中の闇が混ざり溶け合い、それらは仕切られた液晶から飛び出して自由に浮遊しているように見えた。赤から白、そして青と緑の狭間の、息を呑むような何とも言えない色へと色とりどりに変化していく。光が壁や床に反射し、無機質で鬱々しいだけだった空間を払い除け、宝石のような煌めきで全く別の新たな空間を創り出してくれた。この僅か数秒の合間に感情は激しく揺り動かされ、視界が涙で滲み、その涙で光の粒がボヤけて大きくなっていく。光はゆっくりと現れては消えていく。その光が眩しくて、心ごと消えてなくなりそうだった。

LUNARIA 粟屋やわ子
 しかし、俺はもう既に死んでいるのでは無いか?彼らが死んだ時に、俺の心はもう生きることをやめたのではないか?ファントム・ペイン。俺の心はもうずっと闇の中だ。怒りとかではない、虚無と諦め……生きることへの能動的態度の死。もしくは喪失。ある瞬間の強い感情が脳裏から消えない。もうそこから一歩も進む事が出来ない。すべての、この世のすべての事はもう俺に関係がないという現実からの剥離……深い悲しみのフラッシュ・バック……。空を飛ぶこと、それは緩やかな自殺だった。俺はこれ以上は進めないよ。ならばせめて、俺は空に抱かれて死にたい。
 俺は「Tell me why 」を歌うのをやめて、最後のフライトに向けて、席を立つ。

星屑 あきつかおる
 口がまた一つになった日から、僕の狂気は消え失せていった。この二年間は紳士からもらった金だけで暮らしている。際限なく現れると思っていたそれも、どうやら終わりが近いらしいことを知っていた。狂気が消えた代わりに、歌には記憶がこびりつくようになってしまった。流れる音を、言葉を聴く度に、僕はいちいち昔のことを思い出さなくてはならなかった。そして何か歌わずにはいられない気持ちになった。しかし歌えなかった。思えば、自分の意志で何かを歌いたいなんて考えたことなかったかもしれない。それでも歌えなかった。口に出るのは音程のないぶつ切れの塊だけで、メロディの一つだって奏でられなかった。そういうことを、文学気取りの友達に相談すると、「ううむ、パンク・ロックとはかくあるべきである」などとのたまうので、まるで話にならなかった。

イエスタデイ・ワンス・モア あひるひつじ
 バタンと扉が閉まって、タクシーは去っていった。
 陽気な色をまとって所在なさげな自分が、スーパーのガラスに佇んでいる。風にはためく布は昼間の明るさを保っていて、あざやかな花畑を詰め込んだようだった。その服は普段だったら選ばないもので、それだけ浮かれていた証拠だとも言えた。
 静けさをいいことに鼻歌をマスクの中で口ずさんで、今日の日に別れを告げていく。明るすぎる歌は好きだけど、その気持ちとおんなじくらい泣きたくなる。
 歩きながら、カメラの裏蓋を開けてしまったことを思い出して、もっと悲しくなった。フィルムは光に当て過ぎると白飛びしてしまうから、けして撮り終わるまで蓋を開けてはならない。急いで蓋を閉めたけれど、多分ダメになってしまっただろう。
 火が、日が、目の奥で散っている。銀色がぐにゃりと曲がった。

青春の日々 スヤリ
 Aがぽつりと呟いた。僕らは山を下り、田園風景の中を当て所もなく車を走らせていた。車内ではちょうど『ヒア・カムズ・ザ・サン』が流れだそうとしている。当初の目的を果たせなかった僕らは行き場をなくしていた。太陽はその輝きを少しずつ強くしていき、辺りは白い光で満ちていた。健康的なその光は冷えた空気に伝搬し、乱反射しながら隅々まで照らすようだった。僕らの乗る軽自動車も例外ではなかった。どうでもいいと思えた。絹のようなその光はあらゆる濁りをどこかに追いやっていった。僕は経験則から、こういった濁りはまた夜と共に舞い戻ってくるのだけど、それでも、どうでもいいと思えた。

ヒア・カムズ・ザ・サン あひるひつじ

著者紹介


五十音順・敬称略

◆あきつかおる

◆あひるひつじ

◆粟屋やわ子

◆えびせん

◆小林透

◆近藤英理

◆スヤリ

◆td

◆dyism!

◆テクナン

◆ぽん缶

◆もちうめ


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